ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1321話 アヘン戦争の裏側で

序文・正義はどちらに

                               堀口尚次

 

 アヘン戦争は、清とイギリスの間で1840年から2年間にわたり行われた戦争である。イギリスは、インドで製造したアヘンを、清に輸出して巨額の利益を得ていた。アヘン販売を禁止していた清は、アヘンの蔓延に対してその全面禁輸を断行し、イギリス商人の保有するアヘンを没収・処分したため反発したイギリスとの間で戦争となった。戦争はイギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、イギリスへの香港の割譲他、清にとって不平等条約となった。

 「阿片の密輸」という開戦理由に対しては、清教徒的な考え方を持つ人々からの反発が強く、イギリス本国の庶民院でも、野党保守党のウィリアム・グラッドストン〈後に自由党首相〉らを中心に「不義の戦争」とする批判があった、 グラッドストンは議会で「確かに中国人には愚かしい大言壮語と高慢の習癖があり、それも度を越すほどである。しかし、正義は異教徒にして半文明な野蛮人たる中国人側にある」と演説してアヘン戦争に反対した。他方グラッドストンは「中国人は井戸に毒を撒いてもよい」という過激発言も行い、答弁に立ったパーマストン子爵はこの失言を見逃さず、「グラッドストン議員は野蛮な戦闘方法を支持する者である」と逆に追及して彼をやり込めた。清に対しての出兵に関する予算案は賛成271票、反対262票の僅差で承認され、この議決を受けたイギリス海軍は、イギリス東洋艦隊を編成して派遣した。

 この戦争をイギリスが引き起こした目的は大きく言って2つある。それは、東アジアで支配的存在であった中国を中心とする朝貢体制の打破と、厳しい貿易制限を撤廃して自国の商品をもっと中国側に買わせることである。しかし、結果として清国・イギリス間における外交体制に大きな風穴を開けることには成功したものの、もう一つの経済的目的は達成されなかった。中国製の綿製品がイギリス製品の輸入を阻害したからである。

 なお、この戦争の結果として締結された南京条約には、阿片についてひと言も言及しなかったため、終戦後も外国からの阿片の流入と銀の流出が止まらなかった。清国の政府はこれに対抗するために、主に西北部と西南部でのケシの種植と阿片の生産を奨励した政策を打ち出した。国内での阿片の生産増加により銀の流出が止まらなかった状況は改善され、外国産阿片の相場も総崩れとなったが、国内の阿片利用者が爆発的に増加したという大きな弊害が招かれた。