ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1326話 三行半

序文・離縁状

                               堀口尚次

 

 離縁状とは、江戸時代に庶民が離婚する際、妻から夫、夫から妻〈または妻の父兄〉に宛てて交付する、離婚を確認する文章である。『公事方御定書』では離別状と称した。あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)とも呼ばれた。また、江戸時代には字を書けない人は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより離縁状と同等の取扱がされていたため、庶民の間では三行半(みくだりはん)という呼称が広まった。

 江戸時代の離婚制度は、離縁状を夫や妻〈または妻の父兄〉に交付することで離婚は成立する。妻が離婚を望んでいるにもかかわらず離縁状を書かないのは夫の恥とされ、また、夫が離縁状を書いても親類や媒酌人〈仲人〉が預かることも多かった。さらに、夫からの勝手な一方的離婚の場合には相当量の金銭を妻に持たせることもあった。このように、必ずしも夫が好き勝手に易々と離婚できる制度ではなかった。

 三行半とは、離縁状の俗称である。離縁状の内容を3行半で書く習俗があったことから、このように称される。もっとも、必ずしも全ての離縁状が3行半であったわけではない。下記は一例。

『離別一札の事 一、今般双方勝手合を以及離 縁 然ル上者其元儀 何方縁組 いたし候共 私方に二心無 依之離別一札如件 亥十一月廿四日 長吉 おせいとの』

『読み下し:離別一札のこと。一つ、今般双方勝手合を以て離縁に及び、然る上は其の元儀、何方に縁組み致し候とも、私方に二心無く、これにより離別一札くだんの如し。亥十一月二十四日。長吉。おせい殿。』

『意訳:離別状。この度、双方協議の上、離縁いたします。したがって、今後あなたが誰と縁組みしようとも、私に異議はなく、翻意することもありません。以上、本状を以て離別状と致します。亥年11月24日。長吉。おせい殿。』

 なお、「三行半」の名前の由来には、奈良時代律令に定められた棄妻〈婿入婚における、夫からの一方的な離婚。放妻とも言う。〉の際に用いられた書状七出之状(しちしゅつのじょう)の「七」を半分に割って三行り半というとする説や、婚姻の際に妻の親元が出す婚姻許可状が7行の文書であることが多かったため、その半分の3行半にするという説などもある。