ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1328話 薬物依存のジュディ・ガーランド

序文・芸能界の裏の顔

                               堀口尚次

 

 ジュディ・ガーランドは、アメリカ合衆国の女優、歌手。子役として出演した『オズの魔法使』で人気を博し、以後も『若草の頃』、『イースター・パレード』、『スタア誕生』などで抜群の歌唱力を披露してハリウッド黄金時代を代表する大スターの一人となった。アカデミー・ジュブナイル賞、ゴールデングローブ賞トニー賞特別賞などを受賞したほか、グラミー賞の年間最優秀アルバム賞を女性として初めて受賞した。

 1941年に作曲家のデヴィッド・ローズと結婚した。翌年妊娠したが、当時カリフォルニア州では違法だった堕胎手術を受けている。1943年に離婚。そしてこの頃から神経症薬物中毒の影響が表面化し始め、撮影への遅刻や出勤拒否を繰り返すようになる。1947年に出演した『踊る海賊』の撮影では、130日余の撮影中に36日しか姿を見せていない。撮影後にはジュディ自身が「私の最初の精神病院入院」と呼ぶサナトリウムへの長期入院を余儀なくされ、自殺未遂事件を起こす。以降、度々薬物治療のための入退院を繰り返すこととなる

 その後も乱脈な生活と不安定な精神状態はつづき、1949年に計画されていた『ブロードウェイのバークレー夫妻』で、撮影を放棄するなどしたため主役を降板している。さらに同年、映画『アニーよ銃をとれ』の撮影中に錯乱状態に陥ってアニー役から下ろされてしまう。

 1950年公開の『サマー・ストック』の撮影をしていた1949年、以前と比較して約9キロ太り、撮影に影響を与えた。ジュディは結果的に減量したものの、MGMはジュディを解雇。ショックを受けた彼女は再び自殺未遂事件を起こす

 その後、薬物中毒神経症が悪化。逮捕されることはなかったものの、FBIはジュディを監視しており、膨大なFBIの監視記録が残されている

 1969年6月22日に居住滞在先のロンドンのベルグレイヴィア カドガン・レーンの借家で、睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去。47歳だった。過去に2度自殺未遂を起こしていたこともあり自殺との見方は現在でもあるが、その可能性は低いとされている。

私見】NHK番組・映像の世紀「麻薬 世界を狂わせた欲望」で、ジュディはあまりの人気ぶりに、過酷な芸能生活を送る為に「麻薬」に頼らざるを得なかったかように放送されていた。表舞台とは別の、売れっ子なりの悲劇なのか。