ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1339話 祖父に殺された千鶴御前

序文・伊東祐親と源頼朝の関係

                               堀口尚次

 

 千鶴御前(せんつるごぜん)〈生没年未詳〉は、伊豆国で流人生活を送っていた源頼朝が、伊東祐親平清盛から任命された頼朝の監視役〉の娘名は八重姫と伝承されるの間にもうけたとされる男児。千鶴丸、春若とも。確実な史料では存在が確認できないものの、前者は『曽我物語』や『源平闘諍録』、後者は『和賀一揆次第』などに名が見える。祖父にあたる伊東祐親の命令によって、川に沈められて殺害されたとされる

 『曽我物語』には大きく分けて真名本と仮名本の2系統がある。真名本によれば、流人時代の源頼朝は「伊藤助親」〈伊東祐親〉の三女と恋仲になり、「千鶴御前」を儲けた。京都から帰郷した助親は、流人である頼朝の血を引く千鶴御前の誕生を知り、領家である小松殿〈平重盛〉から咎めを受けることを恐れ、将来の禍根を断つとして、郎党らに命じて「松河の奥」の「岩倉の瀧山蛛が淵」に千鶴御前を沈めて殺害した。

 殺害場所について、仮名本系統では「とゝきの淵」、「とくさのふち」などの異同がある。『源平闘諍録』や仮名本系『曽我物語』では、助親の妻女(八重姫の継母)が千鶴御前の存在を助親に告げたとする。

 『曽我物語』において、伊藤助親〈伊東祐親〉・八重親子は、北条時政・万寿〈仮名本系では「朝日御前」。北条政子〉親子と対になる存在であり、貴人たる頼朝を拒んだ伊東家は滅亡し、迎え入れた北条家は繁栄するという物語類型となっている。

 静岡県伊豆地方には、千鶴御前にまつわる伝承地がある。伊東市鎌田に所在する、伊東大川〈松川〉上流の「稚児が淵」は、千鶴御前が沈められた場所とされる。千鶴御前の亡骸が流れ着いたのが富戸海岸〈伊東市富戸〉の「産衣石」とされる。富戸三島神社では若宮八幡として千鶴御前を祀っているという。また、伊東家の家臣は川に向かう途中に千鶴御前をあやすために〈あるいは川に沈めた後に手(た)向(む)けとして〉火牟須比神社〈伊東市鎌田〉の橘の木の枝を握らせたが、亡骸はこの枝を握ったままであり、富戸三島神社にある橘の木はこの橘の枝が根付いたもの〈何代かの代替わりをしているという〉とされる。

私見】伊東祐親の最期は、「以前の行いを恥じる」と言い自害して果てたが、源平の争いが、何の罪もない幼児を巻き込んだ悲劇をうんでしまったのだ。