ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1341話 コロンビアの麻薬王パブロエスコバル

序文・ロビンフッド

                               堀口尚次

 

 パブロ・エミリオ・エスコバル・ガビリア は、コロンビアの犯罪者。「麻薬テロリスト」、「麻薬王」とも呼ばれた。「メデジン・カルテル」の創設者であり、最大の首領でもあった。エスコバルは「コカインの帝王」とも呼ばれ、1980年代から1990年代初頭にかけて、アメリカ合衆国において自身の組織した麻薬カルテルによるコカインの取引を独占し、その過程で、死ぬまでに推定300億ドルもの純資産を蓄えた、史上最も裕福な犯罪者とみなされている。

 リオネグロに生まれ、メデジンで育った。ラテンアメリカ自治大学で学ぶも、卒業せずに中退。その後は犯罪に手を染め始め、違法タバコや偽物の宝くじを売ったり、自動車の窃盗にも関与した。1970年代初頭には複数の麻薬密売業者のもとで働き始め、人を誘拐し、その身代金を要求した。

 1976年に粉状のコカインを流通させるメデジン・カルテルを組織し、アメリカ合衆国に向けた最初の密輸経路を確立した。エスコバルアメリカに潜入したのち、コカインの需要は急激に伸びるようになり、1980年代には、コロンビアからアメリカに向けて、月間70 - 80トンものコカインの輸送を、エスコバル自ら主導したと推定されている。彼は瞬く間に世界有数の富豪となったが、国内外にいる敵の麻薬カルテルとの闘争が常に絶えず、敵の殺戮、警察官、裁判官、地元住民、著名な政治家の殺人暗殺を主導し、コロンビアを殺人が跋扈(ばっこ)する国へと変えた

 1982年に実施されたコロンビア議会選挙にて、エスコバルは、政党「自由主義代替運動」の党員として出馬し、下院議会の補欠議員に当選した。政治家となったエスコバルは、住宅やサッカー競技場の建設といった地域の事業計画を担当し、エスコバルが頻繁に訪れる町の地元の人々の間で、彼の人気は高まるようになった。しかしながら、彼の政治的野心はコロンビア政府とアメリ連邦政府に妨害され、アメリ連邦政府は、コロンビア国家警察の特別作戦部隊 に向けて、エスコバルの逮捕を毎日のように強く要求するようになった。1989年12月6日に発生したボゴタの治安行政局の建物が標的となったDAS庁舎への襲撃事件や、1989年11月27日のアビアンカ航空203便爆破事件は、エスコバルが指揮した、と広く信じられている。アビアンカ航空203便には、のちにコロンビアの大統領となるセサル・ガビリアが搭乗する予定であり、エスコバルは彼を標的に爆弾を仕掛けたが、セサル・ガビリアはこの機体には乗っていなかった。この航空機爆破事件では110人が殺された。

 1991年、エスコバルは当局に自首し、多くの罪状で5年の禁錮刑を言い渡されたが、セサル・ガビリアとの間で身柄引き渡しを禁止する取り決めを結び、自ら建設した快適な刑務所「ラ・カテドラール」 〈「大聖堂」の意〉 に収容され、そこで暮らすようになった。しかし、当局がより刑務所らしい施設にエスコバルの身柄を移そうとしたことで、1992年にエスコバルはここから脱走し、潜伏生活に移ったことにより、コロンビア全土でエスコバルの追跡活動が開始され、メデジン麻薬連合は瓦解した。44歳の誕生日を迎えた翌日の1993年12月2日、エスコバルは故郷のメデジンにて、コロンビア国家警察率いる特殊作戦部隊との銃撃戦の最中に死亡した。

 アメリカ合衆国政府やコロンビア政府からは目の敵にされていたエスコバルであったが、メデジンの住人の大半、とりわけ貧困層にとっては救い主のような存在でもあった。彼は広報活動に長けており、コロンビアの貧しい人々とのあいだで友好関係の構築に努めた。また、生来のスポーツ好きでもあったエスコバルは、サッカー競技場や様々なスポーツが可能な競技場を建設し、子供たちが所属するサッカー団に資金を提供する出資者でもあった。

 エスコバルはコロンビアの西部で住宅やサッカー競技場の建設も担当し、貧困層からの人気は高かった。エスコバルの犯罪の凶悪性を非難する人は数多いが、一方で貧しい人々の暮らしの便宜を図ろうともしていたことから、人々から「ロビン・フッド」を思わせる印象の醸成に努め、住宅建設事業や市民活動を通じてたびたびお金を配り、自身が出入りする町の地元住民から顕著な人気を獲得した。メデジンの住人の中には、エスコバルが警察に捕まらないよう見張り役を立てたり、当局から匿おうとすることでエスコバルを守ろうとする者もいた。また、エスコバルメデジンの貧困地域に、住宅、公園、学校、競技場、教会を数百万ドル掛けて建設した。

 エスコバルの遺した置き土産は、物議を醸し続けている。生前にエスコバルが援助していた街の貧困層の住人は彼の死を悼み、その葬儀には25,000人を超える人々が参列した。エスコバルの支持者の中には、エスコバルを聖人と見なし、天佑神助を得るために彼に対して祈りを捧げる者もいる。エスコバルの葬儀に参列した者の中には「近い将来、人々は聖人に祈りを捧げるが如く、エスコバルの墓前で祈りを捧げるだろう」と述べた者も出た。