序文・ゴレンジャー?!
堀口尚次
北条五色備(ほうじょうごしきぞなえ)は、戦国大名・後北条氏〈本来の氏は「北条」であるが、鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏と区別するため、「後」を付して「後北条氏」、相模国小田原の地名から「小田原北条氏」、「相模北条氏」とも呼ばれる。〉の元に編成されたとされる備〈部隊〉。その名の通り黄・赤・青・白・黒の5色に分けて5つの部隊が編成された。
天文20年7月20日北条氏康は上野国平井城を攻略し、長年の大敵であった関東管領・上杉憲政を完全に撃破するに至った。その頃のものとされる北条家の編成名簿の中に五色備について見られる。それによると、別格の御家門衆〈北条幻庵など〉、最高格の三家老衆〈松田尾張守、大道寺駿河守、遠山丹波守〉に次ぐ五家老衆がそれぞれの備を担当した事が分かる。
特に黄備を率いた北条綱成はよく知られており、黄色地に染められた「地(じ)黄(き)八幡(はちまん)」という旗指物を使用していたという。綱成は若い頃から武勇に秀で、毎月15日は必ず身を清めて八幡大菩薩に戦勝を祈願したといわれている。常に北条軍の先鋒としてその無類の強さを見せつけたため、近隣には常勝軍団としてその名がとどろいたといわれる。合戦では、朽葉(くちば)色に染めた6尺9寸の練り絹に「八幡」と書かれた旗を指物としていたので、その旗色から「地黄八幡」と称えられた。これは「直八幡(じきはちまん)」の発音に通じるため「自分は八幡の直流である」というアピールであった。
その他の備については他の資料からは見られず、その実態についての記録は乏しい。
いずれも名称・職責は「小田原秘鑑」による。年次は天文20年頃とされる。
『・黄備 - 北条上総介綱成 武蔵国川越城代 ・赤備 - 北条常陸介綱高 相模国玉縄城代 ・青備 - 富永左衛門尉直勝 武蔵国栗橋城代 ・白備 - 笠原能登守康勝、後に清水上野介 ・伊豆国下田城代 ・黒備 - 多米周防守元忠〈御由緒六家〉上野国平井城預かり』
【私見】昭和50年に放送開始のテレビ番組「秘密戦隊ゴレンジャー」の原型は、てっきりこの「北条五色揃」にあるものだと思って調べてみたところ、歌舞伎の『白浪五人男』から採ったものだそうだ。