ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1350話 烏帽子大紋と裃

序文・武士の正装

                               堀口尚次

 

 烏帽子(えぼし)は、平安時代から現代にかけて和装での礼服着装の際に成人男性が被った帽子のこと。初期は黒漆塗りの絹や麻で仕立てたものであり、しなやかな素材であったが、平安時代末期の頃には紙を黒漆で固めたものに変わる。庶民のものは麻糸を織ったものである。衣装の格式や着装者の身分によっていくつかの種類があり、厳格に使い分けた。正装の際にかぶる冠より格式が落ち、平安から室町にかけては普段着に合わせて着装した。中国の烏帽(うぼう)が原型ではないかという説がある。

 大紋(だいもん)は、日本の着物の一種で男性用。鎌倉時代頃から直垂(ひたたれ)に大きな文様を入れることが流行り、室町時代に入ってからは直垂と区別して大紋と呼ばれるようになった。室町時代後期には紋を定位置に配し生地は麻として直垂に次ぐ礼装とされた。江戸時代になると、江戸幕府により「五位以上の武家の礼装」と定められた。当時、一般の大名当主は五位に叙せられる慣例となっていたから、つまり大紋は大名の礼服となったのである。このころの大紋は上下同じ生地から調製されるが、は引きずるほど長くなり、大きめの家紋を背中と両胸、袖の後ろ側、袴の尻の部分、小さめの家紋を袴の前側に2カ所、合計10カ所に染め抜いた点が直垂や素襖(すおう)との大きな違いである。

 現代では、礼装として用いられることはなく、もっぱら歌舞伎や時代劇の舞台衣装としてのみ存在している。「勧進帳」では富樫泰家が、忠臣蔵」の「松の廊下」の場面では浅野内匠頭長矩が着用している姿を見ることができる〈この場合、胸紐や菊(きく)綴(とじ)が素襖のように革製であることが多い〉。

 裃(かみしも)とは、和服における男子の正装の一種。肩衣(かたぎぬ)」という上半身に着る袖の無い上衣と、「袴」の組合せで成り立ち、それらを小袖の上から着る。その多くは肩衣と袴を同色同質の生地で仕立て、肩衣の背と両胸、袴の腰板の四か所に紋を入れている。肩衣と下を一揃いの物として作る衣服であることが命名の起源である。ただし継裃(つぎかみしも)といって肩衣と袴の色や生地がそれぞれ異なるものもある。室町時代の頃に起り、江戸時代には武士の平服または礼服とされた。百姓や町人もこれに倣(なら)い式日に着用することが多かったので、現在でも伝統芸能や祭礼などにおいて用いられる。また公家においても江戸時代には継裃を日常に着用していた。