ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1365話 牛若丸と浄瑠璃姫

序文・悲しい恋の物語

                               堀口尚次

 

 浄瑠璃は、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(ししょう)を語る音曲・劇場音楽である。

詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含み、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物と呼ぶ。

 戦国時代ごろの御伽草子の一種『浄瑠璃十二段草子』。作者は「百家系譜」によれば小野阿通という織田信長に仕える侍女で、大病のため静養していた信長のために三味線を用いて語ったという説が江戸時代までは有力であったが、現在までに様々な学者により議論が進められ、享禄4年の「宗長日記」は、少なくともそれ以前から浄瑠璃が存在していた、との記述があり、それを当道座に所属していた琵琶法師によって、平曲〈平家物語を琵琶により伴奏して語ったもの〉に次ぐ新たなものとして扱われ、滝野検校によって節づけがなされ、はじめ琵琶で演奏されていたものが、虎沢検校に師事した沢住検校によって三味線を用いて語るようになり、それを小野阿通が信長に聞かせたという説が一般的である。

 浄瑠璃御前浄瑠璃姫、もしくは三河国矢矧宿の遊女牛若丸の情話に薬師如来など霊験譚をまじえたものを語って神仏の功徳を説いた芸能者にあるとするのが通説であり、「浄瑠璃」の名もここから生まれたものである浄瑠璃とはサンスクリット語からの訳で、清らかな青いサファイヤを意味し、薬師如来の浄土はこれによって装飾されているとされた。

 愛知県岡崎市康生町の岡崎公園の東端に浄瑠璃の供養塔がある。侍女だった冷泉の供養等ではないかと言われている。また、吹矢橋下流浄瑠璃があったとされ、姫はここで入水したと言われている。今は護岸工事で綺麗になっているが、よく見ると岩場のあとらしきものが残っている。更には、義経の物語が残る安心院と麝香塚(じゃこうづか)〈義経が姫の形見としてもらった麝香を埋めたとされる塚〉なる史跡もある。これらは、姫の死後に義経が訪れ、義経が姫の供養のために千本塔婆をつくり、さらに複数の伽藍をもつ妙大寺〈今はないが安心院のあたりといわれる〉を建立したことによると言い伝えられている。また、義経が文を書くために使った硯を埋めたとされる「硯田(すずりだ)」という地名においては、今も三島小学校横の自然科学研究機構の敷地の地名として使われている。