序文・幻の不沈空母
堀口尚次
不沈空母〈unsinkable aircraft carrier、沈まない航空母艦〉は、軍事力の戦力投射を拡張的に展開できる、すなわち、仮想敵により近い場所にある自軍が支配している陸地、特に、地理上の島、ないしは、政治的意味で周囲から孤立した地域を指す比喩表現。こうした場所は、軍用飛行場として機能させることができ、また、物理的に破壊することが困難な陸地であり、事実上、動かないものの沈むことのない航空母艦と同様のものとなる。
「unsinkable aircraft carrier」という表現は、当初は、第二次世界大戦中、大洋を間に挟んでの日本との太平洋戦争において、アメリカ空軍の爆撃機のために軍用飛行場を設置できる可能性がある戦略的に重要な太平洋の島々や環礁を指していた。日本でも航空母艦に対峙する島嶼の陸上基地を指して「不沈空母」ないし「不沈航母」と称することがあった。南西太平洋方面において、アメリカ軍は飛び飛びに数多くの島々を経由するアイランドホッピング作戦を展開し、そうした島々を守備していた日本軍を駆逐した。アメリカ海軍の建設工兵隊〈シービー〉は、対日作戦支援のために、迅速に、しばしば何もない状態の場所にゼロから、滑走路を建設することとなり、ときには環礁全体が滑走路に覆われることもあった。
現在のマルタ共和国となる以前の英領マルタや、当時は軍用飛行場であったケプラヴィーク国際空港のあるアイスランドは、第二次世界大戦中に不沈空母と表現されることがあり、特にマルタは枢軸国側から攻撃の的とされた。
昭和19年に完成した、大日本帝国海軍の航空母艦「大鳳」は、戦時の経験を活かし、防御を強化した実戦的な不沈空母といわれたが、初陣のマリアナ沖海戦で雷撃を受け、燃料の漏洩から爆発を起こし、沈没した。当時の大日本帝国海軍の空母では、「赤城」や、未完成の「信濃」も「不沈空母」と称されることがあったが、いずれも太平洋戦争で沈没している。こうした、実際には撃沈された「不沈空母」は、「幻の不沈空母」と称されることがある。
昭和58年、日本の内閣総理大臣であった中曾根康弘は、アメリカ合衆国を訪問した際にワシントン・ポスト社主との朝食会に臨み、ソビエト連邦からの爆撃機による攻撃の脅威に対抗し、資本主義国家を支援するため、日本は太平洋における「不沈空母」にすると発言した。