序文・世界一家 人類兄弟
堀口尚次
笹川良一〈明治32年 - 平成7年〉は、大正・昭和時代の日本の右翼活動家、元A級戦犯被疑者、社会奉仕活動家。大阪府三島郡豊川村小野原出身。座右の銘は「世界一家 人類兄弟」。
戦前は国粋大衆党総裁、衆議院議員。戦後は、財団法人日本船舶振興会会長、国際勝共連合名誉会長、全日本カレー工業協同組合特別顧問、福岡工業大学理事長を務めた。箕面市名誉市民。勲一等旭日大綬章受章者。
昭和20年12月2日、連合国軍最高司令官総司令部は日本政府に対し笹川を逮捕するよう命令。A級戦犯容疑者として12月11日に巣鴨プリズンに入獄した。
笹川は獄中にいる当時から戦犯の劣悪な待遇の改善を要求し、あるいは誤解により戦犯となってしまった人々の釈放を求めていたが、収監から3年後不起訴により釈放された後は、酒も煙草も断って戦犯者やその家族らへの支援および刑死者の慰霊に奔走した。世界各国で収監されていた戦犯者や「第三国人」の戦犯者の救援にも力を注いでいる。戦犯者援護と慰霊のために設立された宗教法人白蓮社、および家族会である白菊遺族会にも物心両面の協力を続けたとされる。
1960年代から1990年代の各週刊誌などで批判的言説を受けていたにもかかわらず、笹川に批判的な左翼マスコミからは生前、「新聞やテレビ、雑誌などのマスメディアで『大物右翼』と呼ばれた笹川良一に関する批判的言説を発表することは、ある種のタブーとなっていた」と言われてきた。
生前の「世の為、人の為になる事に全財産を使ってしまふ考へでゐる」という言葉どおり資産の多くを社会事業につぎ込んで、笹川は平成7年7月18日、聖路加国際病院で急性心不全のため死去、96歳没。税務署査定による遺産総額は約53億4千万円、ただしほとんどが自宅、山林、非上場会社の株など、換金しづらいものばかりであり、換金できそうな美術品などの類は偽物が多かったと言われている。これに対して借入金は約37億5千万円、差し引きすると遺産は約15億9千万円。その相続税は約7億5千万円にのぼり、長男と次男は相続を放棄。唯一財産を相続した三男の笹川陽平は莫大な負債も同時に相続したため、その返済に苦労することになった。