ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1391話 君臣共治

序文・臣下と共同して日本を統治

                               堀口尚次

 

 君臣共治(くんしんきょうち)は、日本における朝廷〈天皇制〉の統治の正統性を規定する上で唱えられた理論であり、天照大神及び天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の子孫である天皇のみが統治を行うものではなく、天皇とともに神勅(しんちょく)〈神の与えた命令〉を受けた神々の子孫である臣下と共同して日本を統治し、そのための組織が朝廷であるという考え方である。

 『古語拾遺』には、天孫降臨の際に群神が瓊瓊杵尊とともに神勅を受け、それに従って代々瓊瓊杵尊及びその子孫に仕えて朝廷における役職を引き継いできたと説く。『日本書紀』においても孝徳天皇が出した詔〈大化2年3月甲子条〉において、君主として万民を治めることは「独り制むべからず」として君主の独裁を否定し、臣の翼(たすけ)を得て倶に治めることで初めて神天照大神皇祖神護(まもり)の力が得られるとしている。これらの主張は日本は神国であり、その国を統治するのは神によって定められた君臣共治の組織こそが朝廷であり、これに従わない者は神に逆らう者として神罰を受け、朝廷を擁護・尊重する者は神慮によって統治に参画することが許されるとした。そして、朝廷は天皇と臣下〈この場合は、群神の子孫である豪族・貴族を指す〉による統裁合議を経て統治が行われることが基本原則とされた。

 実際の歴史の流れにおいて、より大きな変化を見せたのは臣下の方であった。古代においては、臣は朝廷に仕えて人民を支配する豪族及びその後身である貴族階層のみを指すと考えられてきた。だが、次第に武士が台頭するようになり、武家の棟梁として仰がれた軍事貴族が幕府を開き、武士が幕府を通して君臣共治に参画するようになる。『愚管抄』や『神皇正統記』が非難した武士による天皇廃立も武士の側から見れば、武士こそが治者として「悪王」を排斥して「正統」を擁護する立場を自覚させるに至った。

 幕府の崩壊後に成立した明治政府は、大日本帝国憲法によって表面上は君臣共治を否定して天皇万世一系・神聖不可侵と定義したが、中正派が求めた天皇親政論を排除するという複雑な経緯を辿った。

 一連の矛盾を天皇主権に反しない形で論じたのが天皇機関説であった。そして、主権在民を定めた日本国憲法の制定においてもその根拠を「君臣共治」に求めるなど、近世・近現代に至るまで影響を与えた。