ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1405話 二転三転した多摩川水害訴訟

序文・住民勝訴

                               堀口尚次

 

 多摩川水害は、多摩川流域で起こった水害の総称である。多摩川は、山梨県に端を発して東京都と神奈川県の都県境を流れ下る、関東平野有数の大河である。このため歴史上、水害がたびたび起きてきた。

 特に昭和49年の水害では、9月1日〈日曜日〉に東京都狛江市で左岸堤防が決壊して、翌日にかけて民家19戸が流出・倒壊した。この出来事を題材としたテレビドラマ『岸辺のアルバム』が放映された。国の対応をめぐり長年にわたり裁判で争われて全国的に知られている。

 国は堤防及び流出した土地は復旧し、自衛隊が堰堤の爆破を試みた際に発生した近隣建造物のガラス等の被害は賠償したものの、堤防崩壊により流出した家屋や家財等については賠償しないという姿勢を示したため、昭和51年2月、国家賠償法に基づき、被災者である30世帯・33人が多摩川を管理する国を相手に総額4億1000万円の賠償を求め提訴した

 昭和54年1月、東京地方裁判所は国の河川管理の手落ちを認めて、3億600万円の支払いをと命じた。これに対して国側は、「この水害は予見する可能性はなかった」と、東京高等裁判所に控訴した。その後大阪府の大東水害訴訟において最高裁判所が原告敗訴の判決を下した影響もあり、昭和62年8月、東京高裁は一審判決を破棄し、「国側に河川管理の手落ちはなかった」と、逆転判決をして、住民側に支払われた賠償金の返還を命じた。

 住民側は上告し、平成2年12月13日、最高裁は「改修済河川では、河川整備計画のうえで予想された大水に対する安全性が求められる。独自の見解にもとづいて管理の欠陥を否定した原審〈二審〉は審議不十分である。」と東京高裁に差し戻した。

 これを受け東京高裁は、平成4年12月17日、「当時の技術水準や過去の災害のケースからみて、少なくとも水害が起こる3年前の昭和46年には、施設の欠陥から災害の発生は予測できた」と国の河川管理の落ち度を認めた。12月26日、国側〈建設省〉は上告を断念し、原告に対して損害賠償額3億1300万円と利息分2億7500万円が支払われることになった。

 災害発生から18年、提訴から16年の長期審理は、住民側の勝訴でピリオドを打った。