ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1408話 酒の神様・三輪明神こと大神神社

序文・神に捧げる御酒

                               堀口尚次

 

 大神(おおみわ)神社は、奈良県桜井市三輪にある神社。式内社名神大社)、大和国一宮、二十二社(中七社)。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。旧来は美和乃御諸宮、神大物主(おおものぬし)神社と呼ばれた。中世以降は三輪明神と呼ばれ、両部神道の一つ三輪神道の本拠地であった。明治時代になり「大神神社」と改名された。三輪山を神体山とする。大神神社は纏向・磐余に勢力を持った出雲ノ神の一族が崇敬し、磐座祭祀が営まれたとされる日本でも古い神社の一つで、神奈備信仰様式をとった神聖な信仰の場であったと考えられる。大穴持命が国譲りの時に、己の和魂を八咫鏡に取り付けて、倭ノ大物主櫛甕玉命と名を称えて大御和の神奈備に鎮座した。これが三輪神社の創始である〈『出雲国造神賀詞』〉。主祭神大物主大神 〈倭大物主櫛甕玉命〉。大己貴神の和魂である大物主神は蛇神であると考えられ、水神または雷神としての性格を合わせ持ち、稲作豊穣、疫病除け、醸造などの神として特段篤い信仰を集めている。また日本の守護神、氏族神〈三輪氏の祖神〉である一方で祟りなす強力な神ともされている。以下は大神神社のホームページから引用。『大物主大神を厚く敬った崇神(すじん)天皇は神に捧げる御酒を造るために、高橋邑の活日(いくひ)を掌酒(さかひと)に任じました。活日は酒造りの杜氏(とうじ)の祖先にあたります。そして活日は一夜にして美酒を醸(かも)したと伝わります。崇神天皇8年冬12月卯の日に大神への祭りが行われた後の酒宴で活日は御酒を天皇に捧げて次の歌を詠みました。「この神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」〈この神酒はわたしが造った神酒ではありません。倭の国をお造りになった大物主大神が醸されたお酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ。〉崇神天皇と群臣(ぐんしん)は夜もすがら酒を酌み交わし、祭りの宴を楽しみました。この故実によりご祭神は酒造りの神として敬われるようになったとされます。三輪の地は美酒を産み出す酒どころとして人々によく知られていたのでしょう。三輪の枕詞は味(うま)酒(さけ)で、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌をはじめ「味酒の三輪」は万葉集にも詠まれました。大物主大神は酒の神、三輪といえば美味なる酒を古代の人々は想起したのでしょう。そして、大神神社のご神木は杉で、古来神聖なものとされてきました。やがて時代が下がって、酒の神である大物主大神霊威(れいい)が宿る杉の枝を酒屋の看板とする風習が生まれ、軒先に酒ばやし杉玉を吊るすようになりました。』