ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1411話 生きていた成瀬川土左衛門

序文・大相撲の力士

                               堀口尚次

 

 成瀬川土左衛門は、江戸時代の大相撲の力士。水死体隠語土左衛門」の語源とされる

 仙台藩領〈現宮城県加美郡加美町〉出身の力士。山東京伝の『近世奇跡考』や『睡余小録』下では享保9年午6月の深川八幡社勧進相撲番附は東前頭筆頭であった。延享5年6月6日に死去。墓は江戸深川の霊巌寺にある。山東京伝『近世奇跡考』巻1によると、土左衛門はその容貌を理由に名を水死体のたとえに使われるようになったという

 水に浮いた水死体のことを「土左衛門」と呼ぶのは江戸時代からの伝統である。名前の由来は、山東京伝の『近世奇跡考』巻1に「案(あんず)るに江戸の方言に 溺死の者を土左衞門と云(いふ)は成瀨川肥大の者ゆゑに水死して渾身(こんしん)㿺(ふくれ)ふとりたるを土左衞門の如しと戲(たはむれ)いひしがつひに方言となりしと云」とある。

 水死体はいったん水底に沈み腐敗が始まるとガスを発生し、組織が水を吸ってぶよぶよになり、体が膨れ上がって真っ白に見えることがある。この様が、享保年間に色白で典型的なあんこ型体形〈締まりのない肥満体〉で有名だった大相撲力士、成瀬川土左衛門にそっくりだったことからこの名がついたという 。

 力士の四股名には伝統名として繰り返し襲名されるものが多いが、「土左衛門」はこの成瀬川の後は一度も襲名されることがなかった。

 昔から海運業、海洋土木、水産業造船業等海にまつわる業界では、土左衛門を発見し陸に上げて供養することは縁起が良いこととされている。