序文・蒋介石の矜持
堀口尚次
1945年8月15日の中国時間の正午に重慶から発せられた中華民国国民政府主席の蔣介石によるラジオの演説では、恨みに報(むく)ゆるに徳を以(もっ)てすと述べて、中国国民と世界の人々に対して、日本人には危害を加えないように述べた。このため終戦時には二百数十万人ほどいた日本人は、国家的や集団的な危害を加えられることなく日本に帰国することができた。
『わが中国の同胞は、「旧悪を念わず」と「人に善を為す」ということがわが民族伝統の高く貴い徳性であることを知らなければなりません。われわれは一貫して、日本人民を敵とせず、ただ日本の横暴非道な武力をもちいる軍閥のみを敵と考えると明言してきました。今日、敵軍はわれわれ同盟国が共同してうち倒しました。彼らが投降の条項をすべて忠実に実行するように、われわれが厳格に督励(とくれい)することは言うまでもありません。但し、われわれは報復してはならず、まして無辜(むこ)の人民に汚辱(おじょく)を加えてはなりません。彼らが自らの誤りと罪悪から抜け出すことができるように、彼らがナチス的軍閥によって愚弄(ぐろう)され、駆り立てられたことに、われわれは、慈愛をもって接するのみであります。もし、かっての敵が行なった暴行に対して暴行をもって応え、これまでの彼らの優越感に対して奴隷的屈辱をもって応えるなら、仇討ちは、仇討ちを呼び、永遠に終ることはありません。これはわれわれの仁義の戦いの目的とするところでは、けっしてありません。これはわれわれ軍民同胞一人一人が、今日にあってとくに留意すべきことであります』
戦後、日本の歴代政権は中華民国を反共陣営の一員として、また国連の常任理事国として修好に努めていたが、日本と中華人民共和国の間に国交樹立の機運が高まると中国国民党は危機感を強め、日本の保守メディアに急接近しさまざまな宣伝活動を行うようになった。そのような中で、多くの自民党政治家や保守言論人が、上述の戦勝演説などをもとにした蔣介石による日本への寛大な措置を「以徳報怨」として礼賛するようになった。2008年に平沼赳夫は「蔣介石が日本の天皇制を守ってくれた」と擁護し、「日本と中華民国の国交が断絶した後も、日本の政治家が中華民国を訪れた時は蔣介石の墓に参るのが礼儀であったが近年は行われなくなった」と批判した。