序文・回船問屋
堀口尚次
問屋とは、現代における一般的意味としては卸売業者を指すが、歴史用語及び法律用語として用いられる場合は異なる意味を持つ。一般的意味では、卸売業者のこと。生産者から商品を仕入れて、小売商や購入者に対して販売を行う。
歴史上の意味では、鎌倉時代に運送、倉庫、委託販売業を兼ね、後には、一般の商品も取り扱うようになった組織問丸(といまる)に由来する。この問丸が近世になって問屋(とひや)と呼ばれるようになった。室町時代には問屋(といや)と呼ばれるようになり、江戸においてこの問屋の名称が「とんや」に転じた。やがて運送専門や卸売専門に業種分化しても、各々が問屋と呼ばれた。江戸時代、領主と住人の仲介者として宿場町の自治行政を行うと共に問屋場を管理した町役人〈宿場役人〉の長。多くは本陣を経営した。廻船問屋は江戸時代に至っても運送業と卸売業の性格を併せ持ったままであった。
法律上の意味では、問屋(といや) - 取次ぎを営業としておこなう商人のひとつ。商法で、自己の名をもって他人のために物品の販売又は買い入れをすることを業とする者と定義されており、問屋の行う売買は他人の計算においてなされる。つまり、問屋は自己の名義で取引を行い取引の相手方に対する権利義務の主体となるが、その取引による損益は委託者に帰属する。問屋の収入は、取次の引受けに対して委託者が支払う手数料である。一般的意味における問屋〈とんや=卸売業〉は自己の計算で商品を買い入れ、販売しているので、法律上の問屋ではない。取次商の一種として仲立人とともに補助商に分類される。問屋営業の典型例として、証券会社における証券の売買仲介があげられる。
そうは問屋が卸さないは、江戸時代の日本からのことわざ。自分勝手に都合の良いことを言おうとも、物事というのはそう簡単には思い通りには行かないということを意味する。あるいは都合の良いことをいっている人に対してそう簡単には思い通りにはさせないということを意味する。この言葉は江戸時代の日本の問屋が由来である。当時の問屋というのは、自分たちの利益を守るために商品の卸売価格を自分たちで決めてしまうということを行っていた。このことから小売業者というのは問屋に対して値下げを求めてもかなえられず、小売業者からの希望する価格では売ってもらえないという状況であった。このことから転じて、物事がうまく行かないことをそう表現するようになった。