ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1429話 神宮式年遷宮

序文・常若の思想

                               堀口尚次

 

 神宮式年遷宮は、神宮〈伊勢神宮〉において行われる、定期的な遷宮のことである。式年は、基本的に20年ごととされている。

 原則として20年ごとに、内宮皇大神宮・外宮豊受大神宮の2つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、714種1576点の御装束神宝〈装束や須賀利御太刀等の神宝〉、宇治橋なども造り替えられる。

 記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代天武天皇が定め、持統天皇4年〈690年〉に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、2013年の第62回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。

 2005年から第62回式年遷宮の各行事が進行し、2009年に主要な行事である内宮に係る「宇治渡始式」が、2013年には正遷宮〈神体の渡御〉が斎行された。神宮司庁によると、2013年までの各行事を含む第62回式年遷宮全体の費用は、建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円と公表。このうち、330億円が伊勢神宮の自己資金で、220億円が寄付で賄われた。なお、伊勢神宮世界遺産に登録されていない理由として、この式年遷宮世界遺産に求められる「不変性」「保護」の観点と相容れないことが挙げられている。

 式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているためである。塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。漆を木の塗装に用いるのは縄文時代から見られ、式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃には、既に礎石を用いる建築技術も確立されていた。

 2013年の式年遷宮広報本部は、式年遷宮を行なう理由として、神の勢いを瑞々しく保つ「常若(とこわか)の思想」があると説明している。『延喜式』にも記された20年という間隔の由来については、式年遷宮記念せんぐう館の小堀邦夫館長が糒(ほしい)の貯蔵年限が20年だったことを挙げているほか、20が聖なる数とされていたという見解、古代の暦法、宮大工や神宝職人の技術伝承など諸説ある。