序文・厄除け大師
堀口尚次
良源は、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵(じえ)。一般には通称の慈恵大師、元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。第18代天台座主〈天台宗の最高の位〉であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集め今日に至る。「定心房(じょうしんぼう)」と呼ばれる漬物を伝授しており、これを沢庵漬けの始祖とする説もある。 良源は慈恵大師と呼ばれていたが、命日が正月の3日であることから「元三大師」の通称でも親しまれるようになっていく。
良源の死後、良源は次第に比叡山の護法神のような立ち位置になり、やがては良源を祀ると外敵調伏に効果がある、飢饉や疫病の根絶に力を発するとされていき、「元三大師信仰」は広まっていった。こうして平安時代末期から鎌倉時代にかけては画像や彫像の良源像が数多く作られた。中でも33体等身木像が作られた他、66体像や99体像まで作られるようになった。こうして叡山三塔十六谷どこでも必ず良源の画像か彫像があるほど「元三大師信仰」が広まっていき、それは民間にも広まり応仁の乱が終息した頃に一つの頂点に達した。
比叡山横川にあった良源の住房・定心房は四季講堂〈春夏秋冬に法華経の講義を行ったことからこの名がある〉と名を改め、良源像を祀ることから「元三大師堂」とも呼ばれている。全国あちこちの社寺に見られる「おみくじ」の創始者は良源で、四季講堂はその発祥地であるとされている。
元三大師良源を象った護符には「角(つの)大師」「豆大師」「厄除け大師」など様々な様式があり、いずれも魔除けの護符として現代に至るも広い信仰を集めている。令和6年現在でも、天台宗の有名な寺院ではだいだいにおいて角大師の護符が販売されている。
角大師と呼ばれる図像には、2本の角を持ち骨と皮とに痩せさらばえた夜叉の像を表したものと、眉毛が角のように伸びたものの2つのタイプがある。『元三大師縁起』などの伝説によると、良源が夜叉の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるという。角大師の像は魔除けの護符として毎年正月に売り出され、比叡山の麓の坂本や京都の民家で貼られた。