ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1444話 日本九州大邦主・大友義鎮

序文・キリシタン大名

                               堀口尚次

 

 大友義鎮(よししげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。大友氏の21代当主。宗麟(そうりん)法号で知られている。キリスト教にも受洗、洗礼名は、ドン・フランシスコ。ポルトガル国王からは「Rey de BVNGO」〈豊後の王〉、カンボジア国王からは「日本九州大邦主」と称された。

 父は20代当主・大友義鑑。母は公家の坊城氏の娘とする説がある。 弟に大内義長、塩市丸、親貞など。子に義統〈吉統〉、親家、親盛など。

 中国明朝への遣明船の派遣をはじめ、琉球カンボジアポルトガルを相手とした海外貿易による経済力、優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定した。

 歴代当主同様に禅宗に帰依するとともに、後にキリスト教への関心も強めて洗礼を受けた。最盛期には九州6か国を支配して版図を拡げた。しかし、薩摩から北上した島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名となった。

 大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて、少弐氏・島津氏と共に九州の幕府御家人衆の束ね役として権勢を振るい、室町時代に入ってからは大内氏の九州進出に対し、少弐氏と結び大内氏と抗争していた。大友氏は豊後国筑後国の守護に幕府より代々補任される、いわゆる守護大名であった。

 若い頃、南蛮人が持ってきた鉄砲が試し撃ちの際に暴発して弟の晴英が手に怪我をしたが、その時に西洋医学による応急処置を見ている。また、弘治3年に府内〈現在の大分県庁舎本館のある場所〉で日本初の西洋外科手術をポルトガル人医師1名〈ルイス・アルメイダ〉と、助手に日本人医師2名の計3名で行わせた。当時の豊後国はらい病が風土病になっており、らい病の手術と大分県史に記されている。日本人医師2名は杏葉紋・苗字・太刀を宗麟から賜っている。現在、大分県庁舎本館前には「日本における西洋外科手術発祥の地」の記念碑が立っている。加えて宗麟は領内に、宣教師が伝えた西洋医学の診療所を作り、領民は無料で診察を受けることができた。