ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1451話 信長と秀吉の命で続く須成祭

序文・疫病退散祈願

                               堀口尚次

 

 須成祭(すなりまつり)は、愛知県海部(あま)郡蟹江町須成冨吉建速(とみよしはけはや)神社・八剱(はちけん)社両社の祭礼として行われる川祭。

 疫病退散を祈願する天王信仰牛頭天王(ごずてんのう)の信仰の祭礼であり、須成天王祭とも呼ばれる。

 冨吉建速神社はかつて牛頭天王社と呼ばれていた。祭りの起源は定かではないが、天文17年に織田信長牛頭天王社の社殿を修復した際には、祭礼を今後も継続するように命じており、この時にはすでに行われていた。天正12年には、羽柴秀吉陣営と織田信雄徳川家康陣営が戦った蟹江城合戦によって牛頭天王社の社殿が焼失したが、須成祭は何らかの形で続けられたとされる。文禄年間にはこの地域で疫病が流行したが、豊臣秀吉は後世に至っても祭礼をなおざりにしないよう命じている

 江戸時代には尾張徳川公が須成祭に対して50石を給与している。寛文年間に編纂された『寛文村々覚書』でも言及されている。弘化3年に完成した『尾張志』にも牛頭天王社の祭礼として登場する。このため、須成祭を厳密にいえば「冨吉建速神社・八剱社両社の祭礼」ではなく「冨吉建速神社の祭礼」である。

 疫病退散を祈願する天王信仰に由来する祭りである。7月初旬から10月下旬まで約100日間に渡って行事が続くことから、「百日祭り」という別名を持つ。

「神葭(みよし)の神事」と「車楽船(だんじりぶね)の川祭」の2部で構成されている。蟹江川の河岸に茂るヨシを刈って神体として冨吉建速神社に祀り、災厄をヨシに託して蟹江川に流す。このヨシは7日間にわたって蟹江川に浮かべられ、その後70日間は冨吉建速神社の神棚に祀った後、燃やすことで神葭の神事は終了する。100日間に及ぶこの神事で住民の疫病退散を祈願する。