ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1452話 雨乞いから始まった万燈祭

序文・秋葉神社の祭礼

                               堀口尚次

 

 万燈祭刈谷万燈祭、まんどまつり / まんとうまつり〉は、愛知県刈谷市銀座にある秋葉神社祭礼である。

 江戸時代中期から続いている夏祭りであり、火難防除・町内安全を祈願する。愛知県無形民俗文化財に指定されている。平成30年には「第22回ふるさとイベント大賞」の大賞〈内閣総理大臣賞〉を受賞した。

 武者絵や歌舞伎絵を描いた張紙人形万燈〉をひとりで担ぎ上げ、笛と太鼓の囃子に合わせて社前で舞う。万燈青森県のねぶたに似ているとされるが、細工・彩色はより繊細であるとされる。大きなものでは高さ約5m、幅約3m、重さ約60kgにもなり、若衆がひとりで担ぎ上げる。竹の骨組みに和紙を貼り、ロウを引いた上に彩色したもので、夜間は万燈内部の電照が灯って幻想的な姿になる。歴史的場面や伝説に因んだ万燈が夏の夜に舞う様は絵巻物にも例えられる。

 碧海郡地域は水の便に恵まれない土地である。夏には刈谷の松秀寺境内にある秋葉神社雨乞い祭りが行われていた。「御触状留帳」によれば、安永7年、この祭礼で笛・太鼓による囃子が初めて取り入れられ、寺横町組によって製作された万燈が登場した。

 万燈祭の起源には諸説あるが、この安永7年をもって万燈祭の始まりとする説が有力である。安永9年には2つの町内から万燈が出され、傘鉾も披露された。これらの出し物によって人々の注目を集めたので、安永10年からは万燈や傘鉾が神社の外に出て町内に繰り出すことになり、天明8年には一町を除いたすべての町から万燈が出されるようになった。『刈谷町史』には「元和2年から御神楽・引馬で賑わう祭りが開催され、天保13年の大旱魃の年には行灯を持って踊った。この年から角行灯・囃子台を引き出すのが慣例となり、万燈祭りと称するに至った」という趣旨の記述があるが、これは秋葉神社の由来と合わない。一説には、刈谷藩主土井家と仙台藩主伊達家のつながりが強く、伊達家から養子も迎えていることから、仙台七夕祭りや秋田竿灯祭り、青森ねぶた祭りなど、東北地方に多く見られる宵に明かりを燈す様式の祭礼の影響があるのではないかともいわれるが、詳細は不明である。