序文・地図から消された島
堀口尚次
大久野島は、瀬戸内海芸予(げいよ)諸島の一つであり、広島県竹原市に属する無人島〈定住者なし、居住者あり〉。「ウサギの島」「毒ガスの島」として知られる。
この島は昭和初期「地図から消された島」であった。現在一般的には、陸軍の毒ガス工場があったため機密性から秘匿され当時の一般向け地図においてこの一帯は空白地域として扱われたと言われているが、実際にはそれより古い明治・大正時代から芸予要塞司令部による検閲が入っており、地図では要塞秘匿のため来島海峡からこの島付近一帯まで赤く塗り潰されていた。なお、昭和7年時点での軍事極秘の理由は「呉要塞近傍」であるが、呉要塞とは陸軍広島湾要塞の旧称でこの時点は廃止され海軍呉鎮守府に移管されていることから、海軍も検閲していたことになる。
この島では、昭和4年から昭和20年まで、太平洋戦争で使用するための毒性のガスが大日本帝国陸軍によって秘密裏に製造されていた。この時代まで島内には民家七戸・住人数十人がおり農耕を営んでいたが、毒ガス製造が始まった時に強制退去となった。作られていた毒ガスの種類は血液剤、催涙剤、びらん剤、嘔吐剤の4種で、戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていた。毒ガスやそれに関する機器は終戦直後旧日本軍が証拠隠滅を図り海洋投棄し、その後進駐軍が島全体を接収し海洋投棄・埋設・焼夷剤で焼却するなどの無毒化処理が施された。
島に生息する野生ウサギは全てアナウサギ〈世界・日本の侵略的外来種ワースト100にも指定されている〉である。戦前および戦中、毒ガスの動物実験用にウサギが飼われていた。戦中・戦後には食用にされたという。ただし戦後の毒ガス関連処理の際に全羽殺処分されたため、当時のウサギの子孫はいない。
現在生息しているウサギは、1971年に地元のある小学校で飼われていた8羽が放されて野生化し、繁殖したという説が最有力である。きっかけは国民休暇村になった際に島のマスコット的な存在として動物を入れようという話になり、サルやシカなど検討された中でウサギに決まったという。ウサギの数は大久野島ビジターセンターによると2007年での調査では約300羽であったが2013年には約700羽となり、現在も年々増加しているとみられ、2018年時点では900羽を超えている。