ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1468話 蔵王権現

序文・修験道の本尊

                               堀口尚次

 

 蔵王権現は、日本独自の山嶽仏教である修験道本尊である。正式名称は金剛蔵王権現、または金剛蔵王菩薩。インドに起源を持たない日本独自の仏で、奈良県吉野町金峯山寺本堂〈蔵王堂〉の本尊として知られる。「金剛蔵王」とは究極不滅の真理を体現し、あらゆるものを司る王という意。権現とは「権(かり)の姿で現れた神仏」の意。仏、菩薩、諸尊、諸天善神、天神地祇すべての力を包括しているという。

 蔵王権現は、役小角が、吉野の金峯山で修行中に示現したという伝承がある。釈迦如来千手観音弥勒菩薩の三尊の合体したものとされ、今でも吉野山蔵王堂には互いにほとんど同じ姿をした三体の蔵王権現が並んで本尊として祀られている

 神仏習合の教説では安閑天皇〈広国押建金日命〉と同一の神格とされたため、明治時代の神仏分離の際には、本山である金峯山寺以外の蔵王権現を祀っていた神社では祭神を安閑天皇としたところも多い。

 また神道において、蔵王権現国常立尊大己貴命少彦名命日本武尊 、金山毘古命等と習合し、同一視された。その為蔵王権現を祭る神社では、主に上記の5組の神々らを祭神とするようになった。

 役小角自体が伝説的な人物であり、蔵王権現の製作が実際にいつ頃から始まったのかは判然としない。滋賀・石山寺には、本尊・如意輪観音の両脇侍として「金剛蔵王像」と「執金剛神像」が安置されていた。これらの像は、正倉院文書によれば天平宝字6年制作されたものであるが、正倉院文書には両脇侍の名称を「神王」としており、「金剛蔵王」の名称は平安時代の記録に初めて現れる。これらの像のオリジナルは現存していないが、「金剛蔵王像」の塑像の心木が現存しており、右手と右脚を高く上げた姿は、後世の蔵王権現と似ている。

 宮城県山形県との県境にある日本百名山蔵王連峰蔵王山〉は、古くは刈田嶺(かったみね)、または、不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていた山岳信仰および歌枕の山であったが、吉野から蔵王権現が勧請され、平安時代には修験者が修行するようになったため蔵王山とも呼ばれるようになったとされる。