序文・真珠の天敵は鰻
堀口尚次
御木本幸吉(みきもとこうきち)〈安政5年 - 昭和29年〉は、日本の実業家。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店〈現・ミキモト〉創業者。ミキモト・パール、真珠王とも呼ばれた。
かつて真珠は天然産にのみ限られ、世界の市場を独占していたのはペルシア湾奥、特にクウェート沿岸地域であった。御木本の真珠養殖成功によりクウェートの真珠漁業は壊滅状態となり、別の収入源の確保に必死になったクウェート王家は、それまで拒んできた外資による石油探鉱を許可した。まもなく大規模油田が相次いで発見され、世界のエネルギー地図が塗り替えられて、20世紀は安価な石油の大量供給に立脚する「石油の世紀」となった。
明治38年、幸吉はそれまでの真珠養殖の研究が認められ、明治天皇に拝謁する栄誉を与えられた。真珠の養殖はまだ完璧ではなく発展途上の段階であったが、幸吉は天皇に対し「世界中の女性の首を真珠でしめてご覧に入れます」と大見得を切り、周囲の人間を大いに慌てさせたが、幸吉はその後、真珠の養殖技術を完成させ、見事その言葉を実現させた。
また、第二次世界大戦後、日本各地を行幸した昭和天皇が幸吉の所を訪れた際、93歳だった幸吉は「あんた、よく来てくれました。ありがとう、ありがとう」と言ったとされている。現人神だった天皇が人間宣言をし、それを独自の社交性をもって迎えた逸話として知られている。昭和天皇も、そんな幸吉に親近感をおぼえたと言われている。
幸吉は月1回、ミキモトの従業員と鰻丼を食す「どんぶり会」を開き、意見交換を行っていた。ウナギ登りに肖(あやか)るのと真珠の天敵であるウナギを食べてしまうという意図があった。英虞湾に養殖場を開設して以降、幸吉は通り道のウナギ料理店・川うめに足しげく通い、店主に羽織を贈るなど贔屓にしていた。
因みに真珠あるいはパールとは、貝から採れる宝石の一種である。真珠は貝の体内で生成される宝石である。生体鉱物〈バイオミネラル〉と呼ばれる。貝殻成分を分泌する外套(がいとう)膜(まく)が、貝の体内に偶然に入りこむことで、〈例えば、小石や寄生虫などの異物が貝の体内に侵入した時に外套膜が一緒に入り込み〉天然真珠が生成される。つまり成分は貝殻と等しい。貝殻を作る軟体動物であれば、真珠を生成できる。