序文・極秘任務製造
堀口尚次
缶詰爆弾は、缶詰を模した爆弾。旧日本軍が登戸(のぼりと)研究所で作製した。大型ブリキ缶から小型缶までいくつかの大きさがあり、珈琲缶、菓子缶に偽装し、破壊用・殺傷用・自決用などの用途によって複数種類が製作された。ナチス・ドイツもカスレー〈フランスの煮込み料理〉やスモモのシロップ漬けの缶詰を使った爆弾を計画していたという。なお、沖縄戦では物資不足により竹筒で作った爆弾が知られているが、空き缶のものも発見されている。
登戸研究所は、神奈川県川崎市多摩区東三田にかつて所在した日本陸軍の研究所。風船爆弾のような秘密兵器や新兵器のほか、偽札、偽造パスポートなど謀略・諜報活動用資機材を開発・製造していた。
十五年戦争〈満州事変・日中戦争・太平洋戦争〉中期の昭和14年1月、「謀略の岩畔」との異名をとった陸軍将軍務局軍事課長で陸軍大佐の岩畔壕雄〈正確には軍事課長就任は同年2月、大佐昇進は同年3月〉によって、特殊電波・特殊科学材料など秘密戦の研究部門として、通称「登戸研究所」が「陸軍科学研究所」の下に設立された。登戸研究所の前身は大正8年4月に「陸軍火薬研究所」が改編して発足した「陸軍科学研究所」のため、当初の正式名称は「陸軍科学研究所登戸出張所」であった。
研究・開発された兵器は、原子爆弾、生物兵器・化学兵器〈BC兵器〉、特攻兵器、謀略兵器、風船爆弾、缶詰爆弾、怪力光線、殺人光線、電気投擲(とうてき)砲(ほう)。
上記の通り、怪力光線などのようにいささか空想じみた研究をしており、実態が不明な点が多いこともあって、各種創作物の中ではオカルトめいた怪しい研究所として描かれることが多い。しかし実際には、どちらかといえば謀略やBC兵器、特攻兵器のような、地味かつあまりイメージの良くない研究が主だった。
敗戦が決定すると、陸軍省軍務課は『特殊研究処理要綱』を通達し、全ての研究資料の破棄を命令した。それらの資料の殆どが処分され、また、ほとんどの関係者が戦後沈黙したため、長らくその研究内容は不明だった。
【私見】2025年7月12日の中日新聞に「缶詰爆弾」の製造に携わった男性の証言が掲載されていた。

