序文・タイ王国のフランスからの独立
堀口尚次
東京条約は、タイ王国とヴィシーフランス〈ヴィシー政権〉の間で勃発したタイ・フランス領インドシナ紛争の結果、日本の仲介により東京において1941年5月9日に締結された条約。
ヴィシー政権は、第二次世界大戦中に存在した、フランスの政権である。独仏休戦協定を受けてフランス第三共和政に代わって成立した政権で、第一次世界大戦の英雄フィリップ・ペタン元帥を主席とする。ナチス・ドイツの影響下におかれ、対独協力政策が推進された。現在ではナチス・ドイツの傀儡政権〈衛星国〉と見(み)做(な)されている。
日本の同盟国であるドイツによるフランス本土占領と、親独のヴィシー政権の樹立を受けて日本軍が北部仏印進駐を行ったため、日本と友好関係にあったタイにとっては、日本軍が南部仏印にまで進駐してしまうと領土要求が難しくなるという懸念が生まれていた。当時のタイ政府はあくまで強硬な姿勢を貫き、9月頃より国境付近で両軍による小競り合いが頻繁に発生するようになった。
第二次世界大戦下において勃発した、友好国同士の紛争による両国の国力の疲弊を憂慮した日本による仲介が行われた結果、停戦と領土問題の解決を含む条約が結ばれ、これをもって紛争は終結した。条約の結果、タイ王国は当初の要求通りフランス領インドシナのラオスメコン川右岸及びカンボジアのバッタンバン・シエムリアプ両州を獲得し、事実上の戦勝国となった。
しかし、その後第二次世界大戦に枢軸国として参戦したタイは1945年8月の終戦により敗戦国となったため、フランスに返還した。しかしフランスも第一次インドシナ戦争に敗北したため、これらの地を独立したカンボジアとラオスに引き渡した。
1945年8月15日、日本軍が無条件降伏すると、8月18日から8月28日にかけてベトナム独立同盟会〈ベトミン〉が指導する蜂起がベトナム全土で起こった。ベトミンはベトナム帝国のバオ・ダイ〈保大帝〉を退位させて権力を奪取し、臨時ベトナム民主共和国政府が成立した〈ベトナム八月革命〉。日本が降伏文書に調印し休戦協定が結ばれた9月2日、ハノイでベトナム民主共和国の独立宣言がなされた。一方でラオスとカンボジアは独立を取り消した。

※東京条約締結後にバンコクに建立された戦勝記念塔