序文・試し斬り役人
堀口尚次
試し斬りとは、刀剣を用いて巻藁、畳表、青竹等の物体を切り抜くこと。試斬(しざん)、据物斬(すえものぎ)りとも呼ばれる。江戸時代には様斬(ためしぎり)とも書かれた。
日本刀は1本1本が手作りの鍛造品であり、名手とよばれる刀工の手によるものであっても品質や性格には違いがあり、実用に堪えるものか装飾的美麗さにとどまるものかは実際に試してみなければ分からない。日本刀の切れ味や耐久性を試すために、藁、畳、竹、等の物体を、木製ないしは金属製の台や土〈土段〉の上に乗せ、袈裟あるいは真向あるいは真横〈胴斬り〉に切り抜く。江戸時代には罪人の死体を使用していた。
戦国時代のルイス・フロイスの報告書においても、ヨーロッパにおいては動物を使って試し斬りを行うが、日本人はそういうやり方を信用せず、必ず人体を用いて試し斬りを行っているという記述がある。江戸時代初期は殺伐とした戦国の遺風が残り、武士が刀剣の切れ味を試すために生きたままの人間を用いて試し斬りを行うことがあった。死体を用いる場合と区別して「生き試し」と呼ばれた。生き試しは死罪を申しつけられた罪人がしばしば用いられた。
江戸幕府の命により刀剣の試し斬りする御用を勤めて、その際に罪人の死体を用いていた山田浅右衛門家等の例がある。また大坂町奉行所などには「様者(ためしもの)」という試し斬りを任される役職があったことが知られている。その試し斬りの技術は「据物」と呼ばれ、俗には確かに忌み嫌われていた面もあるが、武士として名誉のあることであった。試し斬りの際には、一度に胴体をいくつ斬り落とせるかが争われたりもした。例えば3体の死体なら「三ツ胴」と称した。記録としては「七ツ胴」程度までは史実として残っている。
据物斬りは将軍の佩刀(はかせ)〈帯刀〉などのために、腰物奉行らの立会いの元、特に厳粛な儀式として執り行われた。本来、こうした御用は、本来は斬首と同様に町奉行所同心の役目とされていたが、実際には江戸時代中期以後、斬首・据物斬りを特定の者が行う慣例が成立し、徳川吉宗の時代以後、山田浅右衛門家の役目とされた。なお、山田浅右衛門家が斬首を行う際に、大名・旗本などから試し斬りの依頼を受け、その刀を用いて斬首することがあったという。その方法は、地面に竹の杭を数本打ち立て、その間に死体をはさんで動かないようにする。
