ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1492話 ソニー創業者の一人・井深大

序文・盛田昭夫との出会い

                               堀口尚次

 

 井深大(まさる)明治41年 - 平成9年〉は、日本の電子技術者、実業家、教育者、弁理士。位階は正三位。栃木県上都賀郡日光町〈現在の日光市〉出身。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人

 東京芝浦電気〈のちの東芝〉の入社試験を受けるも不採用。大学卒業後、写真化学研究所に入社、取締役であった増谷麟の屋敷に下宿する。学生時代に発明し、PCL時代に出品した「走るネオン」がパリ万国博覧会で金賞を獲得。後に日本光音工業に移籍。その後、日本光音工業の出資を受けて、日本測定器株式会社を立ち上げて、常務に就任した。日本測定器は軍需電子機器の開発を行っていた会社であり、その縁で戦時中のケ号爆弾開発中に盛田昭夫と知り合う

 敗戦翌日に疎開先の長野県須坂町〈現須坂市〉から上京し、2か月後の昭和20年10月、東京・日本橋の旧白木屋店内に個人企業東京通信研究所を立ち上げる。後に朝日新聞のコラム「青鉛筆」に掲載された東京通信研究所の記事が盛田昭夫の目に留まり、会社設立に合流する。翌年5月に株式会社化し、資本金19万円で、義父の前田多門〈終戦直後の東久邇宮内閣で文部大臣〉が社長、井深が専務〈技術担当〉、盛田昭夫が取締役〈営業担当〉、太刀川正三郎が取締役(経理財務担当)、増谷麟が監査役、社員20数人の東京通信工業〈後のソニー〉を創業。

 以来、新しい独自技術の開発に挑戦し、一般消費者の生活を豊かに便利にする新商品の提供を経営方針に活動を展開。そして、多くの日本初、世界初という革新的な商品を創りだし、戦後日本経済の奇跡的な復興、急成長を象徴する世界的な大企業に成長していった

 教育活動に熱心にとりくみ、昭和44年に幼児開発協会、昭和47年にソニー教育振興財団を設立し理事長に就任。また、昭和60年にはボーイスカウト日本連盟理事長にも就任している。教育の持論は「この人の能力はこれだけだと決め付けていたらその人の能力は引き出せません。」だった。