ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1496話 樫尾四兄弟

序文・世界のカシオ

                               堀口尚次

 

 樫尾忠雄大正6年 - 平成5年〉は、日本の実業家。カシオ計算機の創業者である。1946年、東京都三鷹市に樫尾製作所を創業。すぐ下の弟である俊雄逓信省を退官して参加。俊雄の考案した「指輪パイプ」〈喫煙補助具〉がヒットしてできた資金を元に電気式計算機の開発を開始、俊雄の弟である和雄幸雄も加わって1957年に商品化に成功し、同年カシオ計算機が設立される。初代社長は忠雄ら兄弟の父である樫尾茂。1960年5月に忠雄が社長に就任。

 生涯を発明家として過ごした次男の俊雄は、長くカシオ計算機の社長を務めた樫尾四兄弟の長兄・忠雄が、社長の後任を兄弟へ打診した際も「自分は研究に専念したい」と固辞した。会長職に就いた後も、亡くなる直前まで音や情報の研究に打ち込んだ。

 俊雄は発明家として「0から1を生み出す」「発明は必要の母」という言葉を残している。ユーザーが求めるものをつくることは発明ではなく、まだこの世になく、誰も考えついていないが、あれば誰もが必要とする「普遍的な必要性」というものがある。これを発見して、解決するプロダクトを生み出すのが「発明」という行為であると考えていた。

 「企業間競争という言葉は嫌いだ。企業は社会に貢献するものであり、その貢献度に応じて企業はユーザーから対価を得る。だからいいものをつくることに集中すれば、利益は後からついてくる。最初から儲けようとしてはいけない」と発言している。

 カシオ計算機は電子式計算機の導入には後れを取ったが巻き返し、1960年代後半には日本国外にも販路を広げた。1972年、世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を当時としては革命的な1万円台で発売しスマッシュヒットを記録。電卓メーカーとしての地位を不動のものにした。

 カシオ計算機はその後もG-SHOCKカシオトーン、カシオトロン、ペラなどの製品を次々と世に送り出した。

 カシオ計算機設立時の社長である樫尾茂(1898〜1986)は父。樫尾忠雄樫尾 俊雄樫尾和雄樫尾幸雄は兄弟である。四兄弟はたいへん仲がよく、樫尾四兄弟、カシオ四兄弟、電卓四兄弟などの異名をとった。後年、幸雄は「電卓四兄弟」という本を出版した。