ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1501話 お亀の方

序文・徳川家康の側室

                               堀口尚次

 

 お亀の方は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての日本の女性。徳川家康側室初代尾張藩藩主尾張徳川家の祖徳川義直生母。家康没後は相応院と称した。

 石清水八幡宮の祠官(しかん)〈神主〉・志水宗清の娘。母は東竹甲清の娘・龍雲院。はじめ竹腰正時に嫁ぎ、竹腰正信〈美濃国今尾藩初代当主。尾張藩付家老を務めた竹腰家の祖。初代尾張藩主・徳川義直の異父兄。〉を生む。夫と死別後、奥勤めに入る。その後、石川光元〈尾張藩家臣〉の側室となり石川光忠を生む。光元と離縁後の文禄3年、21歳の時、家康に見初められ側室となる。文禄4年に仙千代を生む。仙千代は、慶長5年2月、6歳で夭折(ようせつ)〈若くして死ぬこと〉する。仙千代の菩提を弔うため、高岳院〈現・名古屋市東区〉を建立した。同年11月、五郎太丸後の徳川義直を生む。家康の死後、相応院と名乗り、義直のいる名古屋城で暮らした。慶長18年、浅野幸長〈お亀の方と義直との長女・春姫の父〉が嗣子なく死去した際、その弟・長晟からの依頼で、家臣・山下氏勝とともに、長晟の家督相続に向けて関与した。寛永19年9月16日、死去。69歳没。戒名は相応院殿信誉公安大禅定尼。

 寛永20年、義直は、お亀の方の菩提を弔うため宝亀相応寺〈現・名古屋市千種区城山町〉を建立した。

 相応寺は、愛知県名古屋市千種区城山町にある浄土宗の寺院。寛永20年、尾張藩初代藩主徳川義直が生母相応院お亀の方の菩提のため、現在の東区山口町に一万二千坪の境域を定め建立した。慶安3年、江戸にて没した義直の遺骨を当寺に入れて供養し、後に定光寺に義直廟墓が造営され葬られた。寺領三百石を賜り、その後尾張徳川家の夫人・子女が葬られるとともにその遺品も納められた。昭和9年、東区山口町から現在地へ本堂、総門、山門、鐘楼等が移建された。

私見】筆者は過日相応寺を訪れ、尾張徳川歴史コミック《第1巻》「徳川家康とお亀の方」・《第2巻》「徳川義直と春姫」・《第3巻》「徳川光友と千代姫」の3作品を購入した。本堂と山門の扁額「宝亀山」は徳川義直の直筆。相応寺の山号は「宝亀山」、お亀の方の院号の「相応院」といい徳川義直の母〈お亀の方〉に対する溺愛がいかに大きいかがわかる。