ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1505話 オトポール事件

序文・ユダヤ人の満州国通過

                               堀口尚次

 

 樋口季一郎明治21年 - 昭和45年〉は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れた避難民に満洲通過を認めたとされ、これは「ヒグチ・ルート」と呼ばれたと言われる。ヒグチ・ルートからはかつて「2万人を救出した」と喧伝されたこともあったが、実態は不明な部分も多い。

 昭和12年12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際、関東軍の認可の下で3日間の予定で開催された同大会に、陸軍は「ユダヤ通」の安江仙弘陸軍大佐をはじめ、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めていた樋口〈当時陸軍少将〉らを派遣した。この席で樋口は、前年に日独防共協定を締結したばかりの同盟国であるナチ党政権下のドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴びた。〈この頃は、まだナチもユダヤ人絶滅を具体的な施策として考えていたわけではなく、単に自領からのユダヤ人追放を企図していただけで、また、日本側にはユダヤ資本とユダヤ人を満洲国に導入できないかという河豚計画があった。〉

 そうした状況下、翌昭和13年3月、何千人というユダヤ人〈人数については諸説あり、数字は樋口自身の遺稿による。〉がドイツの迫害下から逃れるため、ソ満国境沿いにあるシベリア鉄道オトポール駅まで逃げて来ていた。しかし、亡命先である米国の上海租界に到達するために通らなければならない満洲国の外交部が入国の許可を渋り、彼らは足止めされていた。極東ユダヤ人協会の代表のアブラハム・カウフマン博士から相談を受けた樋口はその窮状を見かねて、部下であったハルビン憲兵特高課長の河村愛三少佐らとともに即日ユダヤ人への給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施。更には膠着状態にあった出国の斡旋、満洲国内への入植や上海租界への移動の手配等を行った。日本は日独防共協定を結んだドイツの同盟国だったが、樋口は南満洲鉄道総裁だった松岡洋右に直談判して了承を取り付け、満鉄の特別列車で上海に脱出させた。しかし、この具体的内容については異説も多いほか、そもそもこのようなことが実際にあったのかを疑問視する声もある。