序文・織田信長との血縁も
堀口尚次
千姫は、安土桃山時代から江戸時代の女性。豊臣秀頼・本多忠刻の正室。父は徳川秀忠、母は浅井長政の三女である浅井江〈太閤豊臣秀吉の養女・達子〉。号は天樹院。慶長2年4月11日、秀忠と達子の長女として、山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれる。慶長8年に7歳で秀頼と結婚し、乳母・刑部卿局とともに大坂城に入る。
慶長20年の大坂夏の陣では、祖父・徳川家康の命により落城する大坂城から救出される。その後、秀頼と側室の間の娘・天秀尼が処刑されそうになった時に、千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける。元和2年、桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚した。この時、津和野藩主・坂崎直盛が輿入れの行列を襲って千姫を強奪する計画を立てていることが発覚し、直盛は家臣により殺害され、それを直盛が自害したように見せかけたが、坂崎家は改易処分となった。翌元和3年、本多家が播磨姫路に移封になった時には、8月28日に桑名を発って姫路城に移り、播磨姫君と呼ばれるようになる。
翌元和4年には長女・勝姫〈池田光政正室、池田綱政生母〉、元和5年には長男・幸千代が生まれた。しかし、元和7年に幸千代が3歳で没したのを始め、寛永3年には夫・忠刻、姑・久仁姫、母・達子が次々と没するなど不幸が続き、本多家を娘・勝姫と共に出ることとなった。江戸城に入り、出家して天樹院と号す。出家後は娘と2人で竹橋御殿で暮らした。寛永5年に勝姫が父・秀忠の養女として池田光政の元へ嫁ぎ、一人暮らしとなる。池田家に嫁いだ一人娘のことを心配し、「天樹院書状」を送っている。寛永16年、光政と勝姫の嫡男・池田綱政〈千姫の外孫〉が誕生した。
正保元年には弟・徳川家光の厄年を避けるために江戸城から移った家光の側室・夏とその後生まれた家光の三男で甥の綱重と暮らすようになる。綱重を養子にすることで大奥に対して大きな発言権を持つようになり、4代将軍・家綱の時代になっても大奥の最高顧問的な権威をもっていた。寛文5年の越前松平家〈福井藩主・松平光通〉の婚姻に関して、嫁側である越後高田藩・勝姫〈千姫の妹、越後高田藩主・松平光長の母〉に依頼されて、幕府に対して介入を行った。明暦3年の明暦の大火で竹橋の邸が焼失した時には、叔父・徳川頼宣〈紀州藩主〉の屋敷に一時寄留する。寛文6年、江戸で死去。享年70。
