ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1522話 南北戦争の原因

序文・奴隷制

                               堀口尚次

 

 南北戦争は、1861年から1865年にかけて、北部のアメリカ合衆国と合衆国から分離した南部のアメリカ連合国との間で行われた内戦である。奴隷制存続を主張するミシシッピ州フロリダ州など南部11州が合衆国を脱退してアメリカ連合国を結成し、合衆国にとどまったその他の北部23州との間で戦争となった

 当時、南部と北部との経済・社会・政治的な相違が拡大していた。南部では農業中心のプランテーション経済が盛んで特に綿花をヨーロッパに輸出していた。プランテーション経済は黒人奴隷の労働により支えられており、農園の所有者が実質的に南部を支配していた。南部の綿花栽培の急速な発展は、英国綿工業の発展に伴って増大した綿花需要に負うもので、英国を中心とした自由貿易圏に属することが南部の利益につながっていた。一方、北部では米英戦争による英国工業製品の途絶で急速な工業化が進展しており、新たな流動的労働力を必要とし、奴隷制とは相容れなかった。また、欧州製の工業製品に対抗するため保護貿易が求められていた。その結果、奴隷制と貿易に対する認識を異にしていた北部の自由州〈奴隷制を認めないという「自由」、奴隷州に対する概念的呼び方〉と南部の奴隷州との間で対立が生じていた。

 さらに、アメリカ合衆国が財政難に陥ったフランスからルイジアナ・テリトリーを購入するとともに、メキシコから「独立」したテキサス共和国カリフォルニア共和国アメリカ合衆国に加えたことで領土を拡張した結果、それまで上院で保たれていた自由州派〈北部〉と奴隷州派〈南部〉の均衡が崩れることとなった。この時、カリフォルニア州を自由州として、ニューメキシコ準州、ユタ準州については州に昇格する際に住民自らが奴隷州か自由州かを決定すること〈人民主権〉となった。この協定によって、南部は奴隷州が少数派となること、すなわち自由州側の方が上院議員数が多くなることに危機感を抱いた。なお、開戦の時点で北部の人口は約2200万、南部の人口は約900万だったとされる。南部の人口は、約400万の奴隷人口を含めた数字である。

 こうした対立は徐々に先鋭化していき、1857年以降になると、紛争が立て続けに起こり、南北の対立はもはや鎮静化が不可能な状態にまで達していた。北部では奴隷制に反対する新政党である共和党が急速に支持を拡大し、一方与党である民主党は北部と南部の対立が激化して、党が南北に割れる事態となった。