ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1542話 東照宮

序文・東照大権現を祀る

                               堀口尚次

 

 東照宮は、江戸幕府初代将軍の徳川家康を「東照大権現」として祀る神社である。元和2年4月2日、今際の徳川家康は金地院崇伝・南光坊天海・本多正純を呼び、次のように遺言した。

 『御大漸の後は久能山に納め奉り、御法会は江戸増上寺にて行はれ、霊牌は三州大樹寺に置れ、御周忌終て下野の国日光山へ小堂を営造して祭奠すべし、京都には南禅寺中金地院へ小堂をいとなみ、所司代はじめ武家の輩進拝せしむべし』

 同年4月17日、家康は駿府城薨去し、柩はその晩に久能山へ運ばれた。同年12月、江戸幕府は遺言に従って久能山東照社〈現・久能山東照宮〉を創建した。これに伴い朝廷は翌元和3年2月21日、神社としての東照社に「東照大権現」の神号を宣下するとともに正一位贈位、さらに神格化された家康本人に対しても同年3月9日正一位贈位している。幕府は日光にも東照社の建設を進め、家康薨去の一周忌にあたる同年4月17日に遷座祭を挙行、ここに二つの東照大権現が並び立つことになった。また、ほぼ同時期に2代将軍の徳川秀忠は、江戸城内の紅葉山にも東照社の社殿を造営した〈紅葉山東照宮〉。正保2年には宮号の宣下があり、東照社東照宮と号するようになった。

 以後、東照社東照宮〉は各地の幕府領に建てられただけでなく、家康の子孫である御三家など親藩も独自に望んで勧請し、また3代将軍の徳川家光が諸大名に造営を勧めたこともあって、譜代大名および将軍家と縁戚関係がある外様大名も競って東照大権現を祀り、全国で500社超が建てられるに至った〈廃絶されたものを含めると約700社が確認されている〉。しかし、明治維新による江戸幕府の崩壊とそれに続く神仏分離廃仏毀釈と相まって廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社となっている。

 これらの東照宮のうち、本宮の日光東照宮、御遺体を祀る久能山東照宮に、自社を加えて「日本三大東照宮」と称す東照宮は多いが、規模・華麗さで劣る南禅寺塔頭金地院東照宮が幕府の正史に遺言が残り家康の遺髪及び持念佛を祀っている。