序文・女性像のイメージが多い
堀口尚次
観音菩薩は男性と女性の両方の姿を取ることから、欧米の研究者のあいだではジェンダー・フリーの体現者であると解釈され、評価されている。しかしながら、本来は男性であったと考えられる。梵名のアヴァローキテーシュヴァラが男性名詞であること、華厳経に「勇猛なる男子〈丈夫〉、観世音菩薩」と書かれていることから、本来男性であった。ガンダーラの観音菩薩の彫刻は、ほとんどが口ひげをたくわえている。『法華経』のサンスクリット原典の第31偈には、観音が導師となる阿弥陀仏の浄土に女性は誰も生まれてこない、と書いてある。『法華経』のサンスクリット原典では、観音は16の姿を現すとされ、その全てが男性である。『法華経』の初期の漢訳である 『正法華経』では、観音は17の姿を現すとされ、その全てが男性である。ところが『妙法蓮華経』〈406年。現在、最も普及している法華経〉では観音は「三十三身」を現すとされ、そのうち7つが女性の姿である。
観音の女性化はインドではなく中国において起きたこと、中国での観音菩薩は男尊女卑の儒教倫理に悩む人たちがすがるものであったこと、例えば、世継ぎの男子を生めない妻は離縁されて当然という儒教〈『礼記』の「嫁して三年、子なきは去る」〉の男尊女卑の考えに苦しんだ女性たちは、観音に祈れば男児が授かるという現世利益的な観音信仰を広く受け入れたこと、を指摘している学者もいる。たしかに、中国では「慈母観音」などという言葉から示されるように、俗に女性と見る向きが多い。また、例えば地蔵菩薩を観音と同じ大悲(だいひ)闡提(せんだい)の一対として見る場合が多く、地蔵が男性の僧侶形の像容であるのに対し、観音は女性的な顔立ちの像容も多いことからそのように見る場合が多い。観音経では「婦女身得度者、即現婦女身而為説法」と、女性の身で教化すべき衆生に対しては女性に変身して説法することもあるため、次第に性別は無いものとして捉えられるようになった。
また後代に至ると観音を民間信仰の女神である媽祖と同一視する傾向が強くなった。また、妙荘王の末女である妙善という女性が尼僧として出家、成道し、観音菩薩となったという説話が十二世紀頃に中国全土に流布し、『香山宝巻』の成立によって王女妙善説話が定着、美しい女性としての観音菩薩のイメージが定着したとする説もある。
