ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1560話 広南従四位白象

序文・将軍が買ったゾウ

                               堀口尚次

 

 広南従四位白象は、江戸時代中期の日本で飼育されたベトナム産のオスのアジアゾウ。幕府は享保年間、長崎で通商を行なう清国商人に象を発注した。これが将軍吉宗要請によるものであることは注目されるが、実はそれ以前から商人の間でで噂になっていたようである。「広南従四位白象」は、京都中御門天皇に拝謁するために与えられた位階称号であるといわれる。「白象」とあるが、アルビノ種ではなく、体色が格別に白いわけでもない、一般的なゾウである。享保から寛保にかけて、江戸市中を中心に「象ブーム」を引き起こした。

 享保年間、徳川吉宗は産業開発に役立つ実学を奨励し、科学技術に関する知識の摂取のため、キリスト教文献以外の漢訳の洋書の輸入制限を緩和した。当時の日本は鎖国下にあったが、長崎への来航を限定的に認めていたオランダ人や中国人〈当時は清国〉を通じて海外の動植物や文物を積極的に取り寄せた。ベトナムの渡来は、この時期の海外文化に対する旺盛な関心のあり方をしめす象徴的な出来事であった。享保13年、清国商人の鄭大威が広南国よりオス7歳とメス5歳の雌雄2頭の象に象使い、通訳それぞれ2名を連れて長崎港に到着した。重い巨体の象を船から下ろすため、船と波止場のあいだには突堤が築かれ、長崎じゅうの人夫が集められて慎重に陸揚げがなされた。上陸後は、市中を遠回りして主だった町内を巡回し長崎の人々に見物させたうえで唐人屋敷に入った。清国人から提出された象に関する説明書は詳細をきわめたものであり、長崎の大通事によって翻訳のうえ幕府に報告された。2頭のうちメスの象は、この年に長崎で死亡してしまうが、オスの方は長崎で越冬した。

 象は京に入り、化粧を施されたうえ、宮中に参内して中御門天皇に拝謁した。御覧の場にいた公卿たちも象の姿に感嘆の声を漏らし、生まれて初めて象を見た当時27歳の天皇は深く感じ入り、このときの心情を和歌に詠んだ。その後将軍吉宗は象を江戸城に召し、大広間の前庭で嫡男家重らとともに桜田門から入城した象と対面した。しかし飼育費が年間200両もかかるなどの経済的な負担もあって、享保15年には早くも象払下げの触が出された。

 象は中野村の百姓源助と柏木村の弥兵衛に払い下げられたが、寛保2年に病死した。象の遺骸は解体されて骨と皮に分けられ、皮は幕府へ献上され、骨や牙は源助へ与えられた。