ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1564話 幻の東ドイツ自動車・トラバント

序文・ボール紙のボディの車

                               堀口尚次

 

 トラバントは、ドイツ民主共和国東ドイツ〉のVEBザクセンリンク社が生産していた小型乗用車である。「トラビ」 の愛称で親しまれた。名称はドイツ語で「衛星」「仲間」「随伴者」などを意味する語。1957年に打ち上げに成功したソ連人工衛星スプートニク1号」を賞賛して命名された。1958年から1991年までの長期にわたって大規模なモデルチェンジは行われないまま生産されたが、大まかには1958年 - 1964年のP50・P60と、1964年以降のP601に分けられる。

 1989年のベルリンの壁崩壊の直後からは、最新式のフォルクスワーゲン・ゴルフやオペル・アストラなどの西ドイツ製の車と古色蒼然としたトラバントが同じ通りで肩を並べて走るようになり、双方のドライバーとそれらを見比べた者に強烈なカルチャーショックを与えた。それまで移動の自由を束縛されていた東側諸国の人々がトラバントに乗って国境検問所を続々と越える光景は、東欧における共産主義体制終焉の一つの象徴的シーンともなった。

 共産主義政権時代、東ドイツでは膨大なバックオーダーを抱えていたが一般国民が入手できる他の大衆車は実質存在せず、一方で生産工場には需要に見合った適正な生産能力がないという閉鎖性と停滞の反映に過ぎなかった。東ドイツの体制をも物語る歴史的なモニュメントとも言える自動車であるが、21世紀以降においては走行性能・安全性・環境性能があまりにも旧態依然の水準ということもあって、旧東ドイツ地域および周辺諸国においては急激に淘汰されている。ドイツ国内においても排出ガス規制が強化されたことで、2008年1月からはベルリンなどの市街地では歴史文化財として特別に許可を得た車両以外は走行できなくなっている。 

 「ボール紙のボディの車」と言われることがあるが、これは東ドイツ末期に製造品質が下がって表面の質感がボール紙のように見えたことから西側が仕上げ品質の低さを揶揄した表現であり、実際は長いモデルライフを通じ、ボディの基本材料はデュロプラストと呼ばれるフェノール樹脂とリサイクル綿の繊維を使った繊維強化プラスチック 〈FRP〉 である。ただし、末期はレーガン政権下のドル・ルーブルの為替レート操作による共産圏の財政悪化のため、製造コスト低減を図って実際に紙パルプと羊毛で代用していた。