序文・李登輝
堀口尚次
李登輝(りとうき)〈1923年 - 2020年〉 は、中華民国〈台湾〉の政治家、農業経済学者、宣教師。第4代中華民国総統〈7期途中昇格・8期・9期、1988年 - 2000年〉。コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。信仰する宗教は台湾基督長老教会。日本統治時代に使用していた名は岩里政男。台湾本省人初の中華民国総統で、「台湾民主化の父」と評価される。日本においては、親日家としても知られた。
蔣経国を副総統として補佐し、その死後は後継者として中華民国の歴史上初めてとなる民選総統であり、なおかつ本省人出身者では初の総統となった。中華民国総統、中国国民党主席に就任し、台湾の本土化を推進した。中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、台湾・澎湖・金門・馬祖には中華民国という別の国家が存在すると主張した〈二国論〉。国共内戦の一方的な終結宣言により、内戦を口実にしてきた動員戡乱時期臨時条款の廃止で中華民国の民主化を実現し、国家統一綱領に基づいて中華人民共和国との統一交渉も開始しつつ、第三次台湾海峡危機では中華人民共和国の軍事的圧力に対して中華民国の独立を守った。総統職と国民党主席を退任した後は、「台湾」と名前の付いた初の政党、台湾団結連盟を自ら中心となって結成し、台湾独立運動・泛緑連盟に影響を与え続けていた。
公学校に入学した登輝は、日本名「岩里政男」を通称として父から授けられた。父の転勤に伴い6歳から12歳まで汐止公学校、南港公学校、三芝公学校、淡水公学校と4度の転校を繰り返した。淡水公学校卒業後は私立台北国民中学〈現在の大同高級中学〉に入学したが、1年後の1938年に淡江中学校へ転校。淡江中学校では学業に専念し首席で卒業。卒業後は台北高等学校に合格。当時の「内台共学」教育により登輝は生涯流暢な日本語を話し、後年行われた司馬遼太郎との対談においては「22歳〈1945年〉までは日本人だった」と語り、「難しいことは日本語で考える」と語るほどであった。戦前・戦中の日本の正統な学校教育を受け、自身の教養も日本の伝統的なそれにつながるものであったとも語っている。中華民国籍取得後も、訪日時には日本語を使用していた。
