ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1575話 安閑天皇と犬

序文・犬の神様

                               堀口尚次

 

 安閑(あんかん)天皇は、日本の第27代天皇。『日本書紀』では、諱を勾大兄皇子(こまがりのおおえのみこ)としている。和風諡号は、『古事記』に広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、『日本書紀』に広国押武金日天皇とある。漢風諡号安閑天皇」は代々の天皇とともに淡海三船(おうみのみふね)〈奈良時代の皇族〉により名付けられたとされる。安閑天皇の治世の出来事として『安閑記』に、関東から九州までの屯倉(みやけ)〈ヤマト王権の支配制度の一つで全国に設置した直轄地を表す語でもありのちの地方行政組織の先駆けとも考えられる〉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部(いぬかひべ)の設置が記されている。犬養部とは、を飼養・使用することを「業」とし、その能力を持って中央政権に仕えた大化前代の品部の一。犬養部の、犬の使用目的として、1.狩猟に用いられた 2.守衛に用いられた の2つが古来より説かれていた。『日本書紀』によれば、犬養部は安閑天皇二年538八月、同年五月の屯倉の大量設置をうけて国々に設置された。この記事の近接性と、現存する「ミヤケ」という地名と「イヌカイ」という地名の近接例の多さから、犬養部と屯倉との間になんらかの密接な関係があったことが想定され、現在では、犬養部は犬を用いて屯倉の守衛をしていたという説が有力になっている。また、犬養部の正確な設置時期は不明であるが、安閑天皇の居地であると『日本書紀』が伝える勾金橋宮の故地に「犬貝」の地名が現存していることから、安閑期頃の6世紀前半である可能性が示唆されている。『日本書紀』の記述には、安閑天皇の前後から屯倉の設置記事が多く見られるようになる。屯倉の発展に犬養部の設置が大きく寄与していたことが考えられる。なお、屯倉の広域展開がのちの国・郡・里制の基礎となっていったとの指摘もある。尚後世、神仏習合の教説で蔵王権現と同一視されたため、明治時代の神仏分離以降に、従来蔵王権現を祭神としていた神社で安閑天皇を祭神とし直したところが多い。

私見】愛知県名古屋市天北区の天白公園内に「中山神社」があるが、御造営記念碑には以下の縁起が書かれている。『岐阜県恵那郡串原村、中山神社より分祀された社であり祭神は広国押武金日命〈二十七代安閑天皇〉である。当神社の祭神は、奈良県吉野郡金峰山より犬に乗って渡ってこられたという伝承があり古くより山犬を神の使いと崇め「おいぬ様」と称しこの形像を祀る信仰が行われ盗難・病難・災難除け、子宝を祈って霊験ありとされています。』