ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1582話 幻の浅草芸人・深見千三郎

序文・ビートたけしの師匠

                               堀口尚次

 

 深見千三郎(せんさぶろう)〈1923年 - 1983年〉は、北海道浜頓別町出身、樺太育ちのコメディアン、舞台芸人、演出家、脚本家。長門勇東八郎萩本欽一ツービートなどの師匠であるが、テレビなどの放送番組に出演することがほぼなかったため、浅草界隈以外の地域でその存在がほとんど知られていない「幻の浅草芸人」と言われている。何度か結婚と離婚を繰り返しており、最後の妻は浅草フランス座の踊り子・紀の川麻里。

深見はテレビでの活動に背を向け、最後まで浅草の舞台で芸人人生を全うした。深見の舞台は主にストリップ劇場でのいわゆる「幕間」のコントであったが、非常に面白いと評判を呼んだ。ストリップ劇場であるから客は踊り子の裸目当てに入場しておりコントになると怒号混じりの野次が飛ぶ事も多かった。深見はそんな客を「うるせえ、黙って観てろ!」と一喝して黙らせ、何事もなかったようにコントを続行し、野次を飛ばした客自身も笑わせる事もあったという。

 深見は特に同じ浅草系の芸人に評価が高く、「師匠」と呼ばれていた。それは「浅草に深見以外に師匠はいない」という敬意を含んだ特別な意味だった。芸人以外の浅草の人々からも師匠と呼ばれていた。不自由な手でギターなどの楽器を操りタップダンスを踏むなど多芸多才。アドリブや時事ネタから、場所柄の下ネタまでをも盛り込むコントが持ち味。後にテレビの世界で大活躍する東八郎や萩本なども深見に世話になっていた。その他にも深見のファンを自称する者は数多い。しかし、深見が劇場の幕間コントに執着し、テレビ番組に背を向けていた事や、当時の8ミリフィルムの記録が残っているわけでもなく、家庭用ビデオデッキがほとんど普及していなかったこともあり、深見の舞台の映像記録は一部しか現存していない。このことから「幻の浅草芸人」と呼ばれている。

 深見がテレビに背を向けた理由については諸説ある。戦争中に受けた左手の負傷痕を気にしたためというものや、舞台芸人である事に誇りを持っていたからというもの、カメラ位置やスポンサーの意向など何かと制約の多いテレビ番組を嫌ったからというものなどがある。また、たけしに対して「テレビの芸は絶対にこの箱〈テレビ〉からはみ出せない。〈テレビ番組は、〉まるで芸人の棺桶だ」と言い、興味や出世欲から安易にテレビという放送分野に踏み込まないよう釘を刺したことがあり、テレビ向けに最適化を施したコントを演じ、後に人気者となるコント55号をひどく嫌っていたとも伝えられている。

 たけしは深見からの薫陶(くんとう)と影響を深く受けた。たけしの芸風である毒舌・早口・アドリブなどは全て深見譲りであり、タップダンスも得意としていたことから、周囲から「まるで生き写し」と言われた事もあったという。その一例として、放送番組で、たけしの弟子の集団であるたけし軍団に絡む際、深見譲りの毒舌と、鋭いツッコミを入れるなどしている。後にたけし自身も「芸人としての心意気・感覚すべてピッタリだった。自分はその心意気を継いでいる。」と語っており、別番組のインタビューでは「芸人としての生きざまは師匠の深見千三郎から教えられた。深見から言われた「笑われるのではなく笑わせろ」という言葉は未だに忘れられない。」と語っている。たけし軍団の一員にも、これらを叩きこんでいる。