序文・口封じ訴訟
堀口尚次
スラップとは、原語の頭字語の「SLAPP」と平手打ちを意味する「slap」をかけた呼称であり、訴訟の形態の一つである。
金銭的余裕のある企業や経営者など〈原告〉が、敗訴・棄却されるであろう事件で、相手〈被告〉に経済的、肉体的、精神的な負担をに負わせることを目的に、「名誉毀損」などを主張する加罰的・報復的訴訟を指す。特に、金銭さえあれば裁判が容易に起こせる民事訴訟において行われる。
原語を直訳すると「公的参加に対抗する戦略的訴訟」となるが、これは「名誉毀損損害賠償裁判を利用する言論抑圧訴訟」を意味する。「批判的言論威嚇目的訴訟」などとも訳される。スラップ訴訟、口封じ訴訟、威圧訴訟とも言われる。なお、アメリカの一部の州では後述のように原告側へ「スラップではないことを立証」する責任を課したり、スラップ提起そのものを禁止している。
民事訴訟は起こすだけなら紙一枚で誰にでも使え、合法的恫喝ともなる。さらに、訴えられていない反対者・批判者も、提訴された人たちが苦しむ姿を見て、公的発信をためらうようになる萎縮効果も狙っている。そのため、一般的には、支援者や資金面で勝る「比較強者」側が、資金面の劣る「比較弱者」側による真実性や真実相当性がある言論活動に対しても封圧や威嚇する目的で行われ、「恫喝訴訟」とも呼ばれる。
本来、名誉毀損と裁判所に認定されるためには、・誰かわかる名前または、明確に特定の対象しか当てはまらない表現を含むこと〈同定可能性〉・公然と指摘していること〈公然性〉・被告の発信情報のせいで原告の社会的評価が下落したこと〈社会的評価の低下〉 という3条件を全て満たす必要がある。名誉毀損訴訟を起こされないように自衛策としては、相手の人格は攻撃しないことで誹謗中傷の「疑い」すらかけられぬほど、自分の意見を批判の範疇に留めることである。
スラップ訴訟とは単に比較弱者を提訴した場合を意味するのではなく、名誉毀損の免責法理である「真実性の法理・〈真実〉相当性の法理」に当てはまる、誹謗中傷ではない摘示事実であるのにもかかわらず、訴訟した場合に使われる表現である。日本の最高裁判所は訴訟の提起行為について、「裁判制度の趣旨目的に照らして著しく〈真実〉相当性を欠くと認められるときに限られる」としている。そのため、表現の自由があるといっても、名誉毀損と認定されない批判内容にする必要がある。実際に原告たる比較強者が訴訟を提起した場合、被告側たる比較弱者には、法廷準備費用や時間的拘束などの負担を強いられるため、訴えられた本人だけでなく、訴えられることを恐れ、被告以外やメディアの言論や行動等を萎縮させる。原告の側にとってはスラップ訴訟は、上記のように苦痛を与える目的は訴訟提起で達成されるので訴訟の勝敗自体には価値はなく、「裁判としての意味をもたない提訴」である。
2016年時点では、スラップという概念を日本でも浸透させる動きが見られているが、用語としては定着途上の段階である。
スラップにおいては、原告よりも経済力の劣る個人が標的になり、あえて報道したメディア機関自体を訴えず、資金面の劣る取材対象者を訴える例もある。そのため、欧米を中心に表現の自由を揺るがす行為として問題化しており、これを禁じる法律を制定した国や自治体もある。例としてアメリカ合衆国のカリフォルニア州に制定されている「反SLAPP法」では、「スラップ訴訟であること」の立証責任を被告側に課すのではなく、原告側が「スラップ訴訟ではないことを立証する」責任を負う。このように被告側が原告側の提訴をスラップであると反論し、それが裁判所に認められれば公訴は棄却され、訴訟費用の負担義務も原告側に課される。
