ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1597話 平家落人伝説・平内神社「百手の儀式」

序文・七人の武将

                               堀口尚次

 

 兵庫県美方郡香美町平内(へいない)神社祭神は門脇宰相(かどわきさいしょう)平教盛(たいらののりもり)平清盛の異母弟〉伊賀平内左衛門家長(いがたいらのうちざえもんいえなが)平家の武将。平家伝説が色濃く残る香美町御崎(みさき)で、古くは御霊荒神と称し、平家の氏神として信仰が篤い。壇ノ浦(だんのうら)の戦いに敗れ、この地にたどり着いたのは、門脇宰相平教盛を大将とする7人の武将。山中から立ち上る一条の炊煙を頼りに崖をよじ登り、そこで出会った修験者に土着を勧められた一行が身を置いたというのが村の始まりとされる。
 毎年1月28日に行われる「百手(ももて)の儀式」では、土着した平家落人、門脇、伊賀、矢引の武士に扮した3人の若者が境内で101本の矢を射る。武芸の鍛錬・平家再興を願って儀式が始まったとされる。当日は、裃姿の人々が平家の蝶の紋が入った赤いのぼり旗を持ち、「ひかえー、ひかえー、わきによれー」と唱和しながら、行事が行われる氏神平内神社へ向かう。

 以下は解説板より ■平家伝説 当地、御崎は余部から険しい山道づたいに約4キロ、日本海に突き出た岬の突端にある平家集落である。かつては、食物や飲用水にもこと欠くような、文字通り陸の孤島であった。平家伝説の地は、ほとんど全国にまたがって各地に分布している。 但馬地方にも古くから平家の里と良い伝えられて来たところが数多くあるが、とりわけ「御崎の平家伝説」は有名である。「平家物語」の中ではすでに死んだことになっている人たちの生存説が極めて多い。壇ノ浦の合戦(寿永4年、1185年3月)に敗れた平家の武将達は、海路隠岐対馬へ逃れようと壇ノ浦から漕ぎ進めたが、日本海に出てから強いシケに遭い、因幡と但馬の海岸へ押し流されてしまった。この御崎には、平家の一門の内、門脇宰相教盛を大将とし、幼帝安徳天皇の衛士の大将 伊賀平内左衛門家長、その子光長、矢引六郎右衛門、小宰相局など一行7人が命からがら漂着したのは、寿永4年4月5日のことであった。一行が御崎のある伊笹岬の沖にさしかかると一条の煙が見え船戸に漕ぎ付け、それを頼りに崖をよじ登って行くと、小さな庵に高野聖の森本浄実坊という修験者がいて、一行は小麦の蒸し物をクズの葉にのせて施され、飢えをしのいだ。それが、今日に続く「小麦祭り」(日吉神社)の起源である。

私見横溝正史の「八つ墓村」で、毛利氏に敗れた尼子氏の武将8人が落武者として山村に辿り着き、村人に斬殺され八つ墓明神となったのを思い出した。