ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1605話 年寄名跡と年寄株問題

序文・親方の去就

                               堀口尚次

 

 年寄名跡とは、日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名を襲名する権利であり、俗に年寄株親方株とも呼ばれる。元力士が引退後も協会に残り、かつ運営に携わるには、年寄名跡を取得する必要がある。名跡の名称は創設者の四股名などに由来しており、既に名跡を取得している年寄はその名で活動する。

 年寄名跡は、江戸相撲勧進元の一人であった雷権太夫らが組織した株仲間がその原型とされている。江戸幕府の認可を得て勧進相撲の公許興行が行われた貞享元年当時、名跡の数は15名前後だったとみられているが、相撲興行が軌道に乗るにつれて、名跡の数が増えてゆくこととなった。年寄名跡所有者は、戦前~昭和30年代頃までは月給制度もなく場所ごとの給金のみで待遇も悪く、副業などにより生活を営むことも多かった。現在は常に協会から比較的高額かつ安定した収入を得ることができ、刑事事件を起こして警察に逮捕されるなどのよほどの不祥事がない限り「失業」の心配もない上に、年寄は現役関取よりも立場が上である。さらに協会員には厚生年金が掛けられるため、現役時代から停年退職まで厚生年金の掛け金を支払えば、退職後に受給できる厚生年金を生活の一助とすることができる。選手生命が短い〈多くは30歳代で引退〉相撲界においては、年金的な要素も持っている。

 年寄株問題とは、日本相撲協会の役員になるために必要な資格である年寄名跡年寄株〉の売買、譲渡にからむ権利関係のことで、1998年には協会の役員人事が大荒れになった。

 相撲界は興業相撲を起源に持っており、年寄衆は元力士のギルド〈組合〉的な存在から発展したものである。そのため、年寄株のやり取りは所有者と襲名希望者との交渉によって成立している。また、相撲界は今に至るまで疑似的な大家族制をとっており、もともと年寄名跡は養子縁組によって相続されるのが通例だった。そのため、制度創設当初は、襲名した年寄は引退後の先代の生活を保障する慣行があった。その後、一定の「一時金」を支払って名跡の譲渡を受ける形が一般的になる。更に、どうしても名跡を取得できない力士が、すでに名跡を所有している現役力士や、名跡の所有権を保持したまま協会を退職した元年寄から名跡の襲名権のみを買い取って当座をしのぐ「借株」が発生し、名跡の所有者と実際の襲名者が異なるという事態も生じた。

 かつては、年寄名跡保持者〈親方〉は停年〈定年〉を迎えるまでに早々と廃業して後進に道を譲ったり、力士時代の生活習慣などが原因で若くして亡くなることが多く、年寄名跡は寧ろ余る傾向にあった。しかし、徐々に力士の寿命も延び、また停年前に廃業する年寄も減少したためなかなか名跡に空きが出ず、どうしても欲しいと思う者が高値で買い取るようになり相場が高騰する、という事態に陥ってしまった。

 実情はともかく、あくまで名跡の譲渡は当人同士の合意によるものとされていたため、相撲界の閉鎖的な体質もあって、数億とも十数億ともいわれる様になった年寄株の「相場」はなかなか明らかにならなかった。

 『相撲』2013年11月号では、1961年1月1日より施行された年寄の65歳停年退職制度の影響で、後継者探しに苦労する親方衆が増えた結果として、一門外まで奔走して後継者を求めるようになり、このことから停年制により名跡が所属していた一門外へ流出する原因となったと解釈すべきであるという内容の主張をしており、近年になって一門制度の実質が弱まっている点との関連が指摘される。

 しかし、2014年11月から導入された停年退職した年寄の再雇用制度により最長70歳まで協会に残れることになったことで年寄名跡が不足する傾向になり、借株年寄が新規の借り換えができずに退職、襲名条件を満たしている力士が年寄名跡を取得できずに引退、名跡を貸している力士や年寄名跡の空きが出るのを待つ力士がすぐに引退しにくい状況となっている。この問題について、再雇用の年寄は相撲部屋の経営権および相撲協会の役員になる権限を失うことから、そもそも再雇用の年寄年寄名跡を所持し続ける必要はないはずであり、再雇用の年寄は全て年寄名跡を返納するよう規定を改正すべきである〈そして年寄名跡を返納した後は本人の現役時代の四股名を名乗ればよい〉との意見もあるが、問題となっている規定は現在も改正されていない。

 現役時代の功績が著しかった横綱が引退した際、協会理事会がその横綱一代に限って認める一代年寄がある。現役時代の四股名をそのまま年寄名跡として使用し、退職まで有効。一代限りのため譲渡・継承は出来ないが、一代年寄以外に認められている年寄株譲渡・貸株の権利を制限しないために、一代年寄名跡と別に一般の年寄株を一つ保有することが認められる。目安としては、幕内最高優勝20回が挙げられるが、制度としての明文化規定は無い。