ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1614話 神戸三七郎から織田信孝へ

序文・無念の自刃

                               堀口尚次

 

 織田信孝は、安土桃山時代の武将、大名。織田信長の三男伊勢国北部を支配していた豪族国衆神戸(かんべ)の養子となり、第8代当主となったため、神戸信孝とも名乗った

 広く知られた伝承では、嫡男・織田信忠の生母・生駒殿が同年に第二子・茶筅丸〈後の織田信雄(のぶかつ)〉を出産しているが、実は信孝の方が信雄より20日先に生まれていたが、母の身分が低かったために報告が遅れ、本来なら次男になるはずだったのに三男とされたという。次男となった信雄は通称で「三介」〈三介は、常陸介・上総介・上野介の三つの介の官位を総称を意味するもので、それぞれ親王の任国とされた高貴な地位。三介は”三番”という意味ではない。父の信長が上総介を称していたことと、弾正忠家の当主の代々通称は「三郎」であったことから、嫡流の一人として期待されていたことが窺える。〉とされ、20日早く生まれて三男となった信孝の通称が「三七」とされた。信孝はこの出生時の不満から信雄に敵意を抱き続けていたと解釈されてきたが、それは古くから信じられてきた俗説であり、史実としてはそのようなことをうかがわせる史料は見つかっていない。信孝は庶出の三男にすぎなかったが、信長が四男以下の子供をほとんど顧みなかったことを思えば、特に目をかけられていたといえる。

 永禄11年2月、信長が伊勢国北部を平定した際に、降伏した神戸城〈三重県鈴鹿市〉城主・神戸具盛〈友盛〉の養嗣子とされた。具盛の娘〈または養女〉の鈴与姫は、関盛信の子一利とすでに婚約していて彼を養嗣子と迎える約束があったが、これを破談にして、彼女を三七信孝〉の正室とした。これは「押入聟(おしいりむこ)=結婚後に夫が妻の姓を名乗り妻の家に入ること」で、神戸氏と関氏の不快を余所に家を乗っ取るための計略であったが、以後は神戸三七郎を名乗っている。元亀2年、このような形で信孝は神戸氏を継いだので、同時に家督相続に反対した旧臣を粛清し、高岡城主の家老・山路弾正を切腹させ、120人の家臣を追放した。引き続き神戸氏に仕えた家臣団が480人であったことから、これを神戸四百八十人衆と称した。

 父の織田信長が本能寺で討たれた後、清須会議が開かれ、羽柴秀吉と袂を分ちた信孝は、長良川を下って尾張国知多郡に奔り、野間(のま)〈愛知県美浜町〉の内海大御堂寺〈野間大坊〉に退いた。ここの安養院において、4月29日または5月2日に、信雄の命令によって、信孝は自害させられた。これには秀吉の内意があったともいわれている信孝切腹の際、腹をかき切って腸をつかみ出すと、床の間にかかっていた梅の掛け軸に臓物を投げつけたといわれる。享年26。安養院には短刀とその血の跡が残る掛け軸が伝来している。太田新左衛門尉は介錯を務めて後、自害して殉死した。

 信孝の家臣は、大野の海音寺で信孝の葬儀を営んだといい、同寺に位牌が残っている。また、信孝の首は家臣の大塚俄左衛門長政が神戸に葬ろうとして持ち帰ったが、戦乱の末に果たせず、に葬ったという。大塚はもともと信孝より信長供養のために福蔵寺の創建を命じられていたのでここに首塚を作ったようである。しかし、福蔵寺には位牌があるが、首塚の墓碑を紛失してしまっており現存しない。今は四百年忌に新しく作られた供養墓に形を変えている。信孝の墓は、前述の生害地である安養院跡地のある大御堂寺とこの福蔵寺にある。

私見】過日筆者は愛知県知多郡美浜町野間大坊にある「織田信孝の墓」を訪れている。また隣接の安養院〈元は野間大坊=大御堂寺の塔頭〉に残る、信孝が自刃した時に使用したという短刀と内蔵を投げつけて血に染まったという掛け軸を見せていただけるようにご住職に懇願したが非公開ということで丁重に断られた。(実物を写した写真は見せて頂けた)但し、この短刀が秀吉から贈られたもので、元々は秀吉が信長から受け継いだものである旨を教えて頂いた。更に信孝の墓の内、大御堂寺にあるものは胴体の墓であり、首の墓〈首塚〉は、三重県関宿の福蔵寺にあると教えて頂いた。そんなことから、再度織田信孝について勉強したところ、神戸氏との繋がりや、福蔵寺とのかかわりが分かった。また思い起こせば、筆者は小旅行で関宿を訪れた時に、この福蔵寺の門前を通り過ぎていた。機会があれば再度福蔵寺を訪れ、信孝の供養塔を見てみたいと思っている。更に筆者は、信孝の葬儀を営んだという大野〈常滑市〉の海音寺も訪れている。勿論その時は信孝の位牌がここにあることは露知らずであり、単なる寺院巡りの一環でお参りした次第だ。しかしこうみてくると、なにか織田信孝との御縁を感じざるをえない。機会があれば、海音寺へも再訪してみたいと思っている。

※筆者撮影