序文・大隈重信の回顧
堀口尚次
日本の鉄道は明治5年9月12日に、新橋駅 - 横浜駅間で正式開業した。鉄道の輸送力を決定付ける軌間は、国際標準軌 〈1,435 mm〉 より狭い狭軌の1,067 mmが選ばれた。これは当時の日本の状況を考えると妥当な選択であった。すなわち軌間が広いほど大きく重い列車を速く走らせることができるが、建設費がかさむことが欠点である。特に軌間が大きいほど曲線半径を大きく取る必要があり、貧乏国で山がちの日本では標準軌は贅沢であった。日本の改軌論争は、日本の鉄道の発祥時に狭軌を採用した日本国有鉄道が、標準軌へ軌間を変更しようとした一連の運動。
日本で1067mm軌間を選択した理由について「イギリスから植民地扱いされていた」や「山が多いから急曲線に強い」という説がしばしばいわれるが両説とも穴があり、前者は1860年代後半から1870年代初頭までイギリス本土でも「新規路線に限らず既存路線も狭軌化した方が経済的〈既存の客車や貨車は大きすぎ重量過多で小型化した方がよい。技術革新で1067mm軌間でもこれに十分な機関車は製造できるなど。〉」という説が提唱されている。後者については、日本の路線は急曲線どころかむしろ緩やかで、幹線などの甲線の最小曲線半径は300m、より低規格の乙・丙線ですら250m・200mであり、同じ軌間の〈あるいは軌間だった〉ノルウェーと南アフリカの最小半径が150mと100mだが、日本の場合はこれは一番程度が低い簡易線の曲線規格になる。
大隈重信は、日本の鉄道の発祥時に半ば適当に外国人の意見に押される形でレール幅〈軌間〉を1067mmと決定してしまったようなことを「ゲージ論など鉄道創業の回顧」で述べてはいる。その後、島国である日本は他国との直通列車による問題は起きなかったものの、輸送量が増大するに従い、1435mm〈標準軌〉にするほうが輸送力増大につながるのではないか、あるいは1067mm〈狭軌〉のままでも軌道を強化したほうがよいのではないかという論争が何度か生じ、これが改軌論争である。
【私見】因みに現在の中部地区を走るの鉄道の主なものの軌間は、新幹線・近鉄・名古屋市営地下鉄などは標準軌で、JR在来線・名鉄・名古屋市営地下鉄〈名鉄が乗入れている路線〉などは狭軌。また、三重県には三岐鉄道北勢線・あすなろう鉄道などのナローゲージ〈764㎜〉もある。
