ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1608話 蜃気楼

序文・蜃が気を吐いて楼閣を現す

                               堀口尚次

 

 蜃気楼は、温度の異なる大気中において高密度の冷気層と低密度の暖気層の境界で屈折し、遠方の景色や物体が伸びたり逆さまに見えたりする現象。光は通常直進するが、密度の異なる空気があるとより密度の高い冷たい空気の方へ進む性質がある。伝説の蜃(しん)〈ミズチなど竜〉が気を吐いて楼閣を現すと考えられたことから蜃気楼と呼ばれるようになった。春の季語。

 大気の密度は大気の温度によって疎密を生じるが、低空から上空へ温度が下がる場合、上がる場合、そして水平方向で温度が変わる場合の3パターンがある。これらに対応して下位蜃気楼、上位蜃気楼、側方蜃気楼〈鏡映蜃気楼〉に分類されるが、これらは上位と下位、上位と側方など複合的に発生する場合もある。通常、単に「蜃気楼」というときは上位蜃気楼を意味する。

 日本では、蜃気楼は縄文時代には目視されて、また、弥生時代からの神話とも習合して現在に至っている。

 古来より、蜃楼の蜃は「みずちの竜」と楼は「やぐらの城」の「竜城」であり、また、蜃楼の蜃は「貝」と楼は「やぐら」の「貝やぐら」でもあり、いずれも読み替えた言葉、「海中の宮」を異口同音に表して親しまれてきた。神山の神仙境を指した蜃気楼は、初代天皇〈神武〉の祖父母、山幸彦が、竜女の豊玉姫を娶った日本神話と習合した浦島太郎伝説とともに竜宮伝説の基いの一つとされる。この基には、徐福伝承の影響があったと見られる。各地に残る徐福伝承から、徐福は稲作の急速な東方普及や大和政権の拡大東征と概ね同期して、徐福伝承は日本の東に進んだ構図で帰化しており神仙境や竜宮は日本の神話や伝説とも習合したと見られる。また、徐福が訪れたと伝わる広島県佐伯郡宮島町の聖崎には蓬莱岩があり、そこで見える厳島の蜃気楼は「蓬莱島」と呼ばれて、山東半島の呼び名と一致している。

 飛鳥から平安時代にかけて、蜃気楼の現れは素戔男尊(すさのお)を祀る祇園の荘園と祇園信仰が広がった富山湾では、神話の八岐大蛇(やまたのおろち)や仏教牛頭(ごず)天王の后である娑伽羅竜女の竜宮などと合せて蜃気楼は神仏習合している。また、蜃気楼は、祇園神社の龍穴と繋がり現在に竜宮を伝えるとともに、春のホタルイカは竜宮〈蜃〉の使いと称されている。中世末期には、徳川家光は、神へ、東叡山寛永寺東照大権現宮に蜃(みずち)を用いており、また、多くの寺社が蜃を用いた。