序文・サグラダファミリア
堀口尚次
アントニ・ガウディ〈1852年 - 1926年〉は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ〈アール・ヌーヴォー〉期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア〈聖家族教会〉、グエル公園〈1900 - 1914年〉、カサ・ミラ〈1906 - 1910年〉をはじめとしたその作品は、アントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。2025年4月、教皇フランシスコは、「神の建築家」と呼ばれているガウディの英雄的徳を認め、「尊者」の敬称を付与することを承認した。
ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過ごした。1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注いだ。しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止されてしまう。さらに1918年、パトロンのエウゼビ・グエイが死去した。またガウディ自身も1911年〈当時59歳〉にマルタ熱病に罹り、プッチセルダーで療養を余儀なくする。
この頃の不幸の連続がガウディを変えたと言われている。彼は取材を受けたり写真を撮られたりするのを嫌うようになり、サグラダ・ファミリアの作業に集中するようになった。
もともとはそれほど熱心なカトリック教徒ではなかったガウディだが、サグラダ・ファミリアの建築に携わるようになって以降、キリスト教への信仰を深めるようになったと考えられる。1894年には四旬節を契機に断食を行なったとされる。また晩年には教会へ行くのが日課となり、禁欲主義から食事も菜食主義や粗食となり、これによる足腰の老化が死に繋がったとも考えられている。
1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中、段差に躓き転倒、そこに通った路面電車に轢かれた。晩年は酷く痩せていたうえ、身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に入院先の病院で死去〈満73歳没〉。遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されている。
