ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1631話 御霊信仰

序文・御霊神社

                               堀口尚次

 

 御霊(ごりょう)信仰とは、人々を脅かすような天災疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本信仰のことである。

 日本では、人が死ぬと魂が霊として肉体を離れるという考え方は、例えば縄文期に見られる屈葬(くっそう)の考え方のように、原始から存在していた。こうしたことから、「みたま」なり「魂」といった霊が人々に様々な災いを起こすことも、その頃から考えられていた。古代になると、政治的に失脚した者や、戦乱での敗北者などの霊が、その相手や敵に災いをもたらすという考え方から、平安期に御霊信仰というものが現れるようになった。

 政争や戦乱の頻発した古代期を通して、怨霊の存在はよりいっそう強力なものと考えられた。怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い〈主に疫病の流行〉をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。また、その鎮魂のための儀式として御霊


会(ごりょうえ)が宮中行事として行われた。記録上、最初に確認できる御霊会は、貞観5年5月20日に行われた神泉苑で行われたもの〈日本三代実録〉である。

 御霊神社は、「御霊」を社名に持つ神社。その祭神・性格はさまざまで、御霊信仰に基づきある人物の御霊怨霊を鎮めるために創建されたもの、5柱の神〈五霊〉を祀る〈祀っていた〉もの、祖神・先祖の霊を「御霊」として祀るものなどがある。

【私見】筆者の地元愛知県知多半島の阿久比町にある阿久比神社に御霊神社がある。立派な鳥居もあるが、訪れた時は祭神は不明であった。境内に設置の説明書きにも御霊神社のことはかいてなかったので調べてみた。筆者の憶測では、先祖の霊を御霊として祀ったものとおもわれる。