ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1644話 海軍甲事件

序文・連合艦隊司令長官山本五十六戦死

                               堀口尚次

 

 海軍甲事件とは、第二次世界大戦中の昭和18年4月18日に、前線を視察中の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がアメリカ軍戦闘機に撃墜され、山本が戦死した事件である。アメリカ側名称はヴェンジェンス作戦。

 日本海軍は昭和18年4月7日から「い号作戦」を実行し、ソロモン諸島、ニューギニア方面の連合国艦隊に攻撃を加えた。この作戦は成功を収め、16日に終了した。この間、山本長官はトラック島の連合艦隊旗艦「武蔵」を離れ、「い号作戦」を直接指揮するため幕僚を従えてラバウル基地に来ていた。山本は、ブーゲンビル島・ショートランド島の前線航空基地の将兵の労をねぎらうため、ラバウルからブーゲンビル島のブイン基地を経て、ショートランド島の近くにあるバラレ島基地に赴く予定を立てた。当時、その方面は日本海軍の制空権下にあり、飛来する敵機は高高度から単機で偵察行動をするP-38程度であり、危機感は些かもなかった。その前線視察計画は、艦隊司令部から関係方面に打電された。この暗号電文はアメリカ軍に傍受された。日本側は全く関知していなかったことだが、アメリカ軍情報部は当時すでに日本軍の暗号解読に成功していた。この電文も直ちに解読され、アメリカ軍は山本の視察の経路と予定時刻を把握した。この情報は、すぐにアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ太平洋艦隊司令長官に報告された。

 ヴェンジェンス〈報復・復讐〉、真珠湾攻撃を立案した山本への報復という意味が込められている。無能な敵将であれば、生かしておくほうが味方に利益である。そのため、山本の前線視察の予定を掴んだニミッツは幕僚と会議を開き、そもそも山本を殺害すべきなのかを検討した。検討の結果、真珠湾攻撃の立案者として人望の高い山本が戦死すれば日本軍の士気が低下すること、山本長官より優れた者が後任となる可能性は低いことを理由に、ニミッツは山本の殺害を決断した。ニミッツは南太平洋方面軍司令官ウィリアム・ハルゼーに山本長官の行程を連絡し、予備計画の作成を命令した。作戦半径は非常に長距離だったが、ハルゼーは山本がきわめて時間に正確で今回も予定を守ることを前提に、航続距離の長いガダルカナルの陸軍機P-38ならば途中で邀撃が可能と応答してきた。

 山本長官の戦死は全軍の士気に大きな影響を与えることが予想されたため、関係者には箝口令が敷かれた。撃墜の翌日、アメリカのサンフランシスコ放送は山本長官の名前を出すことなく、一式陸上攻撃機撃墜の事実のみを簡単に報じた。アメリカ軍は日本軍の暗号解読に成功している事実を日本側に悟られないよう、偶然の撃墜であったかのように発表を装っている。

 山本の戦死を報じた当時の公式発表では、山本の遺体の発見状況を「提督は機上で敵弾を受け、軍刀を手に、泰然として戦死しておられた」と発表された。軍医の遺体検死記録によると、「死因は戦闘機機銃弾がこめかみから下顎を貫通した事によるもの」という結論が出され、ほぼ即死状態であったと推察されている。しかし山本が搭乗していた一式陸上攻撃機を銃撃したP-38戦闘機の機銃は12.7mm4門及び20mm1門であり、検死記録の事実通りであれば頭半分は吹き飛ぶはずである。こういった疑問点から山本の頭部を打ち抜いていたのは、拳銃弾などの小口径の銃弾であった可能性が否定できず、こういった疑問点から「山本自決説」「第三者による射殺説」が論じられることがある。

 山本の遺体を最初に発見した第6師団第23連隊の浜砂盈栄陸軍少尉の証言によれば、「山本長官の遺体は座席と共に放り出されていた。そして軍医長が地を這って近寄ろうとして絶命した痕跡を残していた」という。また、他の遺体が黒焦げで蛆虫による損傷が激しいにもかかわらず、この2名だけは蛆も少なく比較的綺麗な形で残っていた。つまりこれが本当だとするならば、不時着からしばらくは両名が生存していたということになる。

 地上から収容にあたった陸軍第17軍第6師団歩兵第23連隊の蜷川親博軍医中尉の検死調書には、遺体に銃創は無かったとの記述がみられる。山本の墜落現場に向かった各部隊の長、同連隊の浜砂少尉・中村見習士官・海軍佐世保鎮守府第6特別陸戦隊吉田少尉も同様に、山本の顔面には弾丸による傷痕はなかったと証言。が、前述の4士官の後に山本の遺体を正式に死体検分した田淵海軍軍医少佐は、顔面に銃弾による傷跡があったと証言している。

 蜷川軍医中尉の実弟である蜷川親正〈医学博士〉は、山本の遺体には顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創はなく、座席に座って救助を待っていたが、全身打撲か内臓破裂により19日早朝に死亡したものとの見解を示している。蜷川によれば、検案記録等にある顔面貫通機銃創及び背部盲貫機銃創は、機上戦死や即死を演出するために死後損傷が加えられたとのことである。