ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1653話 聖徳太子は皇太子なのか?

序文・厩戸皇子

                               堀口尚次

 

 聖徳太子は、古墳時代後期〜飛鳥時代の皇族・政治家。用明天皇の第二皇子で、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。本名は厩戸王(うまやどおう)、厩戸皇子ともいわれるが定かではない。

 叔母の推古天皇の下、摂政として蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど中国大陸を当時統治していたから進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。このほか仏教を厚く信仰して興隆に努め、後世には聖徳太子自身が日本の仏教で尊崇の対象となった〈太子信仰〉。

 皇太子、王太子は、皇位、帝位、国王の第一継承者を指す語であり、称号。字義として『子』は、広義では"親から生まれたもの"を指すが、狭義では“親から生まれた男”〈すなわち息子、男子〉を意味する。また、『太子』・『世子』は、古代中国において長子や後継者を指す語である。

 荒木敏夫〈歴史学者〉は皇太子制を飛鳥浄御原令での成立として厩戸皇子の立太子に疑問を呈する〈『日本古代の皇太子』吉川弘文館、1985年〉が、河内祥輔〈歴史学者〉は皇太子の称の有無とは別に、厩戸皇子の父・用明天皇は非皇族(蘇我氏)を母に持った皇族であったため、敏達天皇の后からの所生である竹田皇子の成人までの「中継ぎ」の天皇の地位に留まり、本来ならば厩戸皇子ら子孫への直系継承権を有していなかった。だが、竹田皇子の急な死去により竹田皇子の母后〈推古天皇〉が自己に最も近い皇族であった甥の厩戸皇子を新たな後継者とするために、自ら即位して厩戸皇子を後継者に指名〈後世の立太子に相当〉する必要があったとする。これによって用明天皇系である厩戸皇子聖徳太子〉は直系〈敏達天皇系〉に準じる者として皇位継承権を得たが、指名者である推古天皇が死去するまでその地位に留まらざるを得なくなった〈結果として即位することなく死去した〉とする。